このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


関西 2016年8月 NO.2


後日、写真等の差換え変更等の可能性があります。
ご了承ください。
2016.8.21撮影。


撮影場所に関する簡単な説明を掲載します。
詳細は各自でご確認ください。


「関西」の定義は、様々な定義があります。
当サイトの写真集では、「近畿」より広く考える定義を基にしました。
ご了承ください。


~ 京都府 ~


~ 大将軍八神社 ~


「だいしょうぐんはちじんじゃ」
「京都市上京区一条通御前西入西町」に在る。
桓武天皇が、延暦十三年(794年)、平安京造営の際、陰陽道に依り大内裏の北西角の天門に星神 「大将軍堂」を建て、方位の厄災を解除する社として創建されたといわれる。
祭神は、大将軍一神を祀っていたが、 明治時代に「神仏分離令」によって 神道を国教とし現在の形「素盞鳴尊、その御子五男三女神、並びに 桓武天皇を合祀」となり、御子八神と暦神の八神が習合して、以後の社名は、「大将軍八神社」となった。
「大将軍さん(だいしょうぐんさん)」とも呼ばれている。




「鳥居」















「手水」















「狛犬」

























本殿の前に在る塔。


















~ 豊国廟 ~


「ほうこくびょう」
「京都市東山区今熊野北日吉町」に在る。
豊臣秀吉の廟所(墓所)。
天下統一を果たした豊臣秀吉は、慶長三年八月十八日(1598年9月18日)、伏見城で六十三歳の生涯を閉じた。
御遺体は、遺命により、阿弥陀ヶ峰に葬られた。
墳上には祠廟、山麓には社殿が建立された。
慶長四年四月十八日(1599年6月10日)、遷宮式が行われ、後陽成天皇から正一位豊国大明神の神階と神号を賜った。
毎年盛大な祭礼が取り行われていたが、元和元年(1615年)、豊臣氏の滅亡と共に、廟は破壊され荒れ果てていた。
明治三十年(1897年)、豊臣秀吉の300年忌に際し、廟宇が再建され、墳上に巨大な五輪石塔が建てられた。
社殿は、明治十三年(1880年)、旧方広寺大仏殿の地に、豊国神社として再建されている。
五輪塔(御墳墓):高さ約10m(三丈一寸)。
正面の階段:489段。
登拝料必要。(※撮影日確認)




下から上に向かって撮影。




















「中門」















下から上に向かって撮影。




















「五輪塔(御墳墓)」















上から下に向かって撮影。

























~ 北野天満宮 ~


「きたのてんまんぐう」
「京都市上京区馬喰町」に在る。
祭神は、中殿に「主神」・「菅原道真 (すがわらのみちざね)」朝臣(あそん)、東間に、「中将殿」・「菅原道真の長子 高視(たかみ)」、西間に、「吉祥女(きちじょうにょ)」・「菅原道真夫人」、を祀る。
「太宰府天満宮」と共に全国天満宮一万余の宗祠になる。
天慶五年七月十三日(942年8月27日)、西京七条に住む巫女(みか)多治比奇子(文子)(たじひのあやこ)は、菅原道長の託宣を受け、邸内に小祠を構えて神霊を奉祀した。
天暦元年(947年)、北野の現在地に移祭した。
「北野天神」などの別名がある。
親しみを込めて「北野の天神さま」とも呼ばれている。
一部施設有料。(撮影日の確認)




「手水」




















「鳥居」















「三光門」
「中門」
「三光門」の名前の由来は、豊富な彫刻の中に、日・月・星、があることによる。












「狛犬」













































「楼門」















たくさんの梅を干している様子を撮影。















「牛の像」

























「影向松(ようごうのまつ)」
初雪の日に御祭神がこの松に降臨され歌を詠まれるという言い伝えがある。











~ 京都府立植物園 ~


「京都市左京区下鴨半木町」に在る。
園内の敷地面積:約24ha。
大正六年(1917年)に着工。
大正十三年(1924年)1月1日に「大典記念京都植物園」として開園。
第二次大戦中は園内に菜園が設けられ、食糧増産の場になった。
第二次大戦後は、昭和21年(1946年)から12年間、連合軍に接収され閉園なった。
昭和三十六年(1961年)4月、再び公開した。
入園料必要。(撮影日の確認)




「クレマチス」の「プリンセス ダイアナ」
キンポウゲ科。
テキセンシス系。
作出国は、イギリス。
作出年は、1984年。
チューリップ咲き。
「ビーズ ジュビリー」の交配種。









「槿(むくげ)」の「コエレスティス」
アオイ科。
アメリカで改良された品種。













「ポーチュラカ」の「サンちゅらか ホワイト」
スベリヒユ科。
多花性で開花時間が長い。
一般的なポーチュラカは、午後になると花を閉じるが、このシリーズは、虫が受粉しない限り夕方近くまで咲いている。
花径は、約4cm。
「サンちゅらか」シリーズの一種類。








「ポーチュラカ」の「サンちゅらか ピンク」
「サンちゅらか」シリーズの一種類。














「タイタンビカス」の「アドニス」
アオイ科。
宿根草。
「タイタンビカス」について説明。
「アメリカ芙蓉(あめりかふよう)」と「紅葉葵(もみじあおい)」の交配選抜種。
巨神タイタンにちなんで名付けられた。
開花期は、6~9月。
花径は、15~25cm。
草丈は、2~3mまで成長する。











「タイタンビカス」の「アルテミス」















「ヴィグナ アデナンタ」
マメ科。
南米の熱帯地方原産。
つる性植物。
蕾や花の形が、カタツムリ(Sneil)によく似ていることから、別名「スネイルフラワー」と呼ばれている。













~ 壬生寺 ~


「京都市中京区」に在る。
「壬生(みぶ)」は、この辺りの村の名前。
「壬生村」に在ることから、「壬生寺」と呼ばれるようになった。
正暦2年(991年)、園城寺の快賢僧都によって創建。
新撰組の屯所として使用していた。
新撰組の屯所は、壬生寺、を含めて数ヶ所ほど在る。
新撰組は屯所を別の場所に移してからも、稽古などで利用していた。
一部隊士の墓が在る。
新撰組の縁の寺として知られる。
一部施設有料。(撮影日の確認)




「水掛地蔵(みずかけじぞう)」にお供えされている花を撮影。


















~ 八坂神社 ~


「やさかじんじゃ」
「京都市東山区祇園町北側」に在る。
慶応四年五月三十日付(1868年7月19日)の官達により、「八坂神社」と改称するまで、「感神院」、または、「祇園社」と称していた。
御祭神は、「素戔嗚尊(すさのをのみこと)」、「櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)」、「神大市比売命(かむおおいちひめのみこと)」、「佐美良比売命(さみらひめのみこと)」
全国に在る「八坂神社」の総本社になる。




「狛犬」
















































           写真集トップ             


このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください