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関西 2016年9月 NO.2


後日、写真等の差換え変更等の可能性があります。
ご了承ください。
2016.9.4撮影。


撮影場所に関する簡単な説明を掲載します。
詳細は各自でご確認ください。


「関西」の定義は、様々な定義があります。
当サイトの写真集では、「近畿」より広く考える定義を基にしました。
ご了承ください。


~ 京都府 ~


~ 本法寺 ~


「ほんぽうじ」
「京都市上京区本法寺前町」に在る。
山号は「叡昌山」
日蓮宗の本山の一つ。
開創は、久遠成院日親上人。
永享八年(1436年)、京都東洞院綾小路に建立された。
天文五年(1536年、法華の乱(ほっけのらん)により喪失、後にこの場所に移った。
江戸時代には、後水尾天皇、紀州徳川家の保護を受けて繁栄した。
現在の堂宇は、江戸時代後期に再建されたものになる。
「十の庭(つなしのにわ)」、本阿弥光悦の作の「巴の庭」、が在る。
一部施設の拝観料必要。(※撮影日の確認)




「仁王門(におうもん)」















「百日紅(さるすべり)」
ミソハギ科。
落葉低木。
中国南部原産。
「サルスベリ」の名前は、樹皮が滑らかなため猿も滑り落ちる、との意味で名付けられた。
赤い花が長く咲き続けるので「百日紅(ひゃくじつこう)」ともいわれる。
漢字では、「猿滑」、とも書く。
江戸時代に渡来。
日本には、元禄七年(1694年)の出版の書物に「百人紅」の名前が書かれている。
宝永五年(1708年)の出版の書物にも記載がある。








「庭園」
「十の庭(つなしのにわ)」














「庭園」




















「庭園」
「巴の庭」



















「庭園」の「巴の庭」より撮影。













~ 新日吉神宮 ~


「いまひえじんぐう」
「京都市東山区妙法院前側町」に在る。
建立:永暦元年(1160年)。
祭神:後白河法皇、山王七柱。
後白河天皇が、院の御所をお定めになられましたとき、皇居の守護神として、比叡山の守護神の日吉社(現:日吉大社) を勧請なされ、京都の東山の麓に「新しい日吉神社」を創祀 された。
創祀850年以上になるが「新」が付いている。
「いま(新)」は、「今」の意味になる。
「ひえ(日吉)」は、「日枝」・「比叡」・「日吉」は同じ言葉になる。
当初は、智積院の南側に創建されたが、元和元年(1615年)、豊国廟社の破毀とともに、旧廟前に移り、明治三十年(1897年)、この地に移った。




「狛狐」

























「狛犬」

























「手水」















「狛犬」




















「灯籠」




















「狛猿」
「ご神猿」
一対で「阿吽(あうん)」となっている。























~ 新熊野神社 ~


「いまくまのじんじゃ」
「京都市東山区今熊野椥ノ森町」に在る。
創建は、永暦元年(1160年)。
後白河法皇が、紀州(現在の和歌山県)熊野の神をこの地に在った仙洞御所法住寺殿の内に勧請して創建した。
当時の都人にとって、熊野に参詣することは大変なことで、何回も行けるわけではなかった。
そのため、熊野の新宮・別宮として創建された。
「新熊野」と書いて「いまくまの」と読むのは、紀州の古い熊野に対する京の新しい熊野、紀州の昔の熊野に対する京の今の熊野、という当時の都人の認識が、由来となっている。
足利義満が、初めて観阿弥・世阿弥の親子の能を観た場所としても知られている。




「境内」















「提灯」
熊野の御鳥神「八咫烏(やたがらす)」が描かれている。



















「手水」














「大樟(おおくすのき)」
「樟(くすのき)」
クスノキ科。
創建の折、紀州熊野より運ばれた後白河法皇のお手植えの樟と伝わっている。
樹齢九百年と伝わっている。
「影向の大樟(ようごうのおおくすのき)」として、新熊野神社の自然神信仰の象徴となっている。













「狛犬」

























「椥(なぎ)」
「梛」とも書く。
マキ科。
本殿の左右に在る。
熊野の御神木。














~ 京都府立植物園 ~


「京都市左京区下鴨半木町」に在る。
園内の敷地面積:約24ha。
大正六年(1917年)に着工。
大正十三年(1924年)1月1日に「大典記念京都植物園」として開園。
第二次大戦中は園内に菜園が設けられ、食糧増産の場になった。
第二次大戦後は、昭和21年(1946年)から12年間、連合軍に接収され閉園なった。
昭和三十六年(1961年)4月、再び公開した。
入園料必要。(撮影日の確認)




「アンゲロニア」の「セレニータ ピンク」
オオバコ科。
「セレニータ」シリーズの一種類。


















「ペチュニア」の「アフリカン サンセット」
ナス科。
中輪系。
「ユニークチュニア」シリーズの一種類。












「ペチュニア」の「ワンダー ウェーブ ラベンダー」















「唐辛子(とうがらし)」の「ヌーメックス イースター」
ナス科。














「タイタンビカス」の「ピーチホワイト」
アオイ科。
宿根草。
「タイタンビカス」について説明。
「アメリカ芙蓉(あめりかふよう)」と「紅葉葵(もみじあおい)」の交配選抜種。
巨神タイタンにちなんで名付けられた。
開花期は、6~9月。
花径は、15~25cm。
草丈は、2~3mまで成長する。






「タイタンビカス」の「アルテミス」













~ 白峯神宮 ~


「しらみねじんぐう」
「京都市上京区今出川通り堀川東飛鳥井町」に在る。
御祭神は、第75代 崇徳天皇、第47代 淳仁天皇。
明治天皇は、父帝 孝明天皇の御遺志を継承され、保元の乱により讃岐国(現 香川県)に配流となった崇徳天皇の慰霊のため、宮地を和歌・蹴鞠の公卿宗家「飛鳥井家」の邸宅地跡(この地)に求められ、慶応四年九月六日(1868年10月20日)、社殿を現在地に新造され、奉迎鎮座された。
明治天皇は、続いて、明治六年(1873年)、僧 道鏡と恵美押勝の争いにより淡路島に配流された淳仁天皇の御神霊を、淡路島の御陵からお移して御併祀された。
また、白峯神宮では、「まり」の守護神として「精大明神」が祀られている。
「精大明神」は、蹴鞠・和歌の宗家である公卿宗家「飛鳥井家」が代々守護神として邸内にお祀りしてきたもので、白峯神宮がその祭祀を受け継いでいる。




「手水」
「飛鳥井」
「飛鳥井」は、平安時代の歌謡曲の催馬楽「飛鳥井」に謡われている、清少納言の「枕草子」の一六八段に登場する九つの名水の中で明確に存在する井戸、になる。











「狛犬」

























「鞠庭(まりにわ)」
蹴鞠(けまり)をする所。














「鳥居」















「楼門」













~ 建勲神社 ~


「たけいさおじんじゃ」
「京都市北区紫野北舟岡町」に在る。
御祭神は、「織田信長」公。
配祀は、「織田信忠」卿。
明治二年(1869年)、明治天皇の御下命により創建された、織田信長をお祀りする神社。
明治三年(1870年)、「建勲神社」の神号を賜る。
明治八年(1875年)、別格官幣社に列せられる。
明治十三年(1880年)、社殿を新たに造営して、織田信長嫡子の織田信忠を配祀した。
「けんくんじんじゃ」とも呼ばれている。
「けんくんさん」とも呼ばれている。




「手水」















「狛犬」
参道より。
























「狛犬」
境内より。
























「石碑」















「参道」

























「鳥居」
木造の明神鳥居。
幅:5.5m、高さ:7.2mに及ぶ。














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