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関西 2016年10月 NO.1
後日、写真等の差換え変更等の可能性があります。
ご了承ください。
2016.10.8撮影。
撮影場所に関する簡単な説明を掲載します。
詳細は各自でご確認ください。
「関西」の定義は、様々な定義があります。
当サイトの写真集では、「近畿」より広く考える定義を基にしました。
ご了承ください。
~ 京都府 ~
~ 壬生寺 ~
「京都市中京区」に在る。
「壬生(みぶ)」は、この辺りの村の名前。
「壬生村」に在ることから、「壬生寺」と呼ばれるようになった。
正暦2年(991年)、園城寺の快賢僧都によって創建。
新撰組の屯所として使用していた。
新撰組の屯所は、壬生寺、を含めて数ヶ所ほど在る。
新撰組は屯所を別の場所に移してからも、稽古などで利用していた。
一部隊士の墓が在る。
新撰組の縁の寺として知られる。
一部施設有料。(撮影日の確認)
色付く落ち葉。
境内に居る鳩。
~ 仁和寺 ~
「にんなじ」
「京都市右京区御室大内」に在る。
山号は、「大内山」
寺格は、「総本山」
開基は、宇多天皇。
仁和二年(886年)、光孝天皇によって「西山御願寺」と称する一寺の建立を発願されたことに始まる。
翌年、光孝天皇は崩御されたため、宇多天皇が先帝の遺志を継がれ、仁和四年(888年)に完成。
寺号は、元号から仁和寺となった。
平成六年(1994年)、ユネスコの「世界遺産」に登録された。
一部拝観料有料。(撮影日の確認)
「二王門(におうもん)」
仁和寺の正面に建つ巨大な門。
高さは、187m。
重層、入母屋造、本瓦葺、になる。
「二王像(におうぞう)」
「二王門(におうもん)」の左右に安置されている。
「勅使門(ちょくしもん)」
大正二年(1913年)、竣工。
境内。
中門(ちゅうもん)へと続いている。
「西方天」
中門に安置されている。
「東方天」
中門に安置されている。
境内。
金堂へと続いている。
僅かに色付く木の葉。
「金堂(こんどう)」
本尊である阿弥陀三尊を安置する御堂。
慶長年間造営の御所内裏紫宸殿を寛永年間(1624年~43年)に移築したものになる。
現存する最古の紫宸殿になる。
「経蔵(きょうぞう)」
建立は、寛永(1624年~45年)~正保年間(1645年~48年)。
宝形造、本瓦葺、になる。
正面に両開きの板唐戸、左右に花頭窓を付け、禅宗様で統一されている。
「緑色の木の葉」と「赤色と緑色の翼果(よくか)(実)」
~ 誓願寺 ~
「せいがんじ」
「京都市中京区新京極桜之町」に在る。
宗派は、「浄土宗西山深草派」
総本山は、「京都 新京極 誓願寺」
開基は、承安五年(1175年)、法然上人による。
本尊は、阿弥陀如来。
天皇の勅願により創建される。
最初は奈良に在ったが、鎌倉時代初期に京都に在る一条へ小川移転したが、豊臣秀吉の寺町整備により、三条寺町(現在の地)に移された。
清少納言、和泉式部、松の丸殿(豊臣秀吉の側室)、帰依したことでも知られる。
「境内」
「迷子のみちしるべ」
正面に「迷子みちしるべ」、右側に「教しゆる方」、左側に「さがす方」と彫ってある。
その当時、落し物、迷子などの時は、落した人は捜す方へ、拾った人は、教える方へ、この石に紙に書いて張り出した。
警察のなかった江戸末期から明治中期、迷子が深刻な社会問題となり各地の社寺や盛り場に建てられたそう。
月下氷人(仲人)役の石ということから、別名が「奇縁氷人石」とも呼ばれる。
現存の石柱は、明治十五年(1882年)9月に建立されたものになる。
「手水」
~ 薬師院 ~
「やくしいん」
「京都市中京区釜座通二条上ル大黒町」に在る。
山号・寺号は、「医徳山薬師院(いとくさんやくしいん)」
「来ぬか薬師(こぬかやくし)」とも呼ばれる。
本尊は、薬師如来。
宗旨は、「黄檗宗」
開基は、「鉄面寂錬禅師」
寛喜二年(1230年)、疫病が全国に広がった時、住職の夢に薬師如来が現れて、「一切病苦の衆生我前に来らば諸病悉く除くべきに、来也(こぬか)、来也(こぬか)」とのお告があり、皆が病気治癒したので、これ以降、「こぬか薬師」呼ぶようになった。
元禄元年(1688年)、鉄面寂錬禅師が再興する。
元治元年(1864年)、「蛤御門の変」で焼失したが、明治二十二年(1889年)、縮小して再建された。
「小紫式部(こむらさきしきぶ)」
クマツヅラ科。
落葉低木。
別名は、「小紫(こむらさき)」、「小式部(こしきぶ)」
開花時期は、6月~8月中旬。
実の生る時期は、9~11月。
花は、淡紫色の小花が、葉の付け根に、根元に近い場所から咲き始め、先端へと咲いていく。
実は、小さい実が花を追うように生る。
実の色は、緑色から紫色に変わっていく。
葉は、緑色で、上半分に鋸歯が見られ、対生に付く。
高さは、1~1.5m。
初夏、紫色の小さな実をつける。
名前の由来は、主に二つになるよう。
一つの説は、紫色の実から、源氏物語の作者の「紫式部(むらさきしきぶ)」にちなんで名付けられた。
一つの説は、小さい「紫式部(むらさきしきぶ)」(クマツヅラ科 ムラサキシキブ属)というところから名付けられた。
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