このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
関西 2016年10月 NO.3
後日、写真等の差換え変更等の可能性があります。
ご了承ください。
2016.10.10撮影。
撮影場所に関する簡単な説明を掲載します。
詳細は各自でご確認ください。
「関西」の定義は、様々な定義があります。
当サイトの写真集では、「近畿」より広く考える定義を基にしました。
ご了承ください。
~ 京都府 ~
~ 縣神社 ~
「あがたじんじゃ」
「宇治市宇治蓮華」に在る。
御祭神は、木花開耶命(このはなさくやひめのみこと)。
永承七年(1052年)、関白 藤原頼道が、平等院(びょうどういん)建立にあたり、平等院の総鎮守となり、藤原氏の繁栄を祈誓したと伝わる。
「鳥居」
「手水」
「縣井(あがたい)」
「椋の木(むくのき)」
ニレ科。
「椋木」、「僕樹」、などとも書く。
雌雄同株。
落葉高木。
写真の「椋の木」について説明。
高さ:26m
幹周:4.4m
推定樹齢:500年。
「狛犬」
桜の柄の提灯。
本殿の扉の飾り。
桜になっている。
~ 熊野神社(京都) ~
「くまのじんじゃ」
「京都市左京区聖護院山王町」に在る。
御祭神は、伊弉冉尊(いざなみのみこと)・伊弉諾尊(いざなぎのみこと)(日本で最初の夫婦神)、天照大神(あまてらすおおみかみ)、速玉男尊(はやたまのおのみこと)、事解男尊(ことさかのをのみこと)。
弘仁二年(811年)、修験道の日圓上人が、国家守護のため、紀州熊野大神を勧請したことに始まると伝わる。
寛治四年(1090年)、創立された聖護院は、この熊野神社を守護神として別当職を置いて管理された。
熊野信仰が盛んであった平安末期、後白河法皇は、度々、熊野御幸(熊野詣)を行うと共に、この熊野神社にも厚く崇敬した。
その後も、歴代天皇に崇敬され、庶民の信仰も集めたが、応仁の乱により荒廃した。
寛文六年(1666年)、聖護院宮道寛法親王によって再興された。
天保六年(1835年)、大修造が行われた。
「鳥居」
「狛犬」
八咫烏(やたがらす)の柄の提灯。
~ 岡﨑神社 ~
「おかざきじんしゃ」
「京都市左京区岡崎東天王町」に在る。
御祭神は、「速素盞鳴尊(すさのをのみこと)」、「奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)」、「三女五男八柱御子神(やはしらのみこがみ)」
延暦十三年(794年)、桓武天皇の長岡京からの平安京遷都に際し、王城鎮護の為、平安京の四方に建立された社の一つといわれる。
都の東(卯の方位)に鎮座する事から「東天王」と称した。
御祭神二柱が三女五男八柱神ものたくさんの御子神をもうけられ、子宝に恵まれた子授け安産の神になる。
この辺りが野うさぎの生息地だった。
古くから、うさぎが氏神の使いと伝えられる。
「子授け」・「安産」・「縁結び」・「厄除け」、として信仰がある。
「狛犬」
「狛うさぎ」
兎の柄の提灯。
「狛犬」
~ わら天神宮(敷地神社) ~
「わらてんじんぐう」・「しきちじんじゃ」
「京都市北区衣笠天神森町」に在る。
「敷地神社(しきちじんじゃ)」が正しい呼び名。
通称は、「わら天神宮」、になる。
御祭神は、木花開耶命(このはなさくやひめのみこと)。
京都の安産祈願で知られる神社になる。
起源は、平安建都以前と推定されている。
天長八年(831年)、この地に氷室が設けられることになり、その夫役として 加賀国の人々が移住してきた。
加賀国の人々は、移住にあたり、崇敬していた「菅生石部神(すごういそべのかみ)」の分霊を勧請し、御祭神を、御母の「木花開耶姫命」と定め、北山の神の西隣に祀った。
応永四年(1397年)、三代将軍 足利義満による、北山第(後の、金閣寺)の造営にあたり、参拝に不便になったことから、 両者を合祀して現在地へ遷座した。
社号を「菅生石部神」の通称である「敷地神社((しきちじんじゃ)」とした。
「わら天神宮」の由来について。
この地への遷都後は、「天神宮」と称していた。
稲わらで編んだ籠に神饌を入れて神様に捧げており、後にそのわらを切り取り、安産のお守りとして 妊婦さんに授与するようになった。
わらのお守りの珍しさから、「わら天神宮」の通称が広まった。
「鳥居」
「社額」は「わら天神宮」となっている。
「狛犬」
「参道」
「鳥居」
「社額」は「天神宮」となっている。
「手水」
「狛犬」
~ 宇治上神社 ~
「うじがみじんじゃ」
「宇治市宇治山田」に在る。
平成六年(1994年)、「古都京都の文化財」として世界遺産に登録された。
拝殿、本殿、は、国宝。
宇治市案内板より
−−
宇治上神社は、明治維新までは隣接する宇治神社と二社一体で、それぞれ、離宮上社、離宮下社と呼ばれていました。祭神は宇治神社の祭神でもある悲運の皇子莵路稚郎子のほか、父の応神天皇と兄の仁徳天皇を祀っています。本殿は平安時代後期の神社建築としては最古のものに属する建造物で、一間社流造の内殿三棟を左右一列に並べ、後世これらに共通の覆屋をかけたものです。また、その身舎の扉には、建立当時の絵画が遺されています。なお、境内に湧き出ている桐原水は、宇治七名水の一つとされています。
−−
「提灯」
「狛犬」
緑色の木の葉。
「梔子(くちなし)」
アカネ科。
「巵子」、「支子」、とも書く。
「梔子」には変種や品種があるが、詳細は確認していない。
「欅(けやき)」
ニレ科。
説明板の一部を書く。
−−
宇治市名木百選
高さ 27m
幹周 4.8m
樹齢 300年
−−
写真集トップ
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |