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関西 2016年11月 NO.2
後日、写真等の差換え変更等の可能性があります。
ご了承ください。
2016.11.21撮影。
撮影場所に関する簡単な説明を掲載します。
詳細は各自でご確認ください。
「関西」の定義は、様々な定義があります。
当サイトの写真集では、「近畿」より広く考える定義を基にしました。
ご了承ください。
前日から当日の天気の関係(霧・降雨)、または、散水と思われる状況より、降雨、植物や地面などが濡れている写真があります。
ご了承ください。
~ 京都府 ~
~ 神護寺 ~
「じんごじ」
「京都市右京区梅ヶ畑高雄町」に在る。
山号:高雄山。
宗派:高野山真言宗。
寺格:遺迹本山(ゆいせきほんざん)。
開基:和気清麻呂(わけのきよまろ)。
和気清麻呂は、天応元年(781年)、国家安泰を祈願し、河内に神願寺を、ほぼ同じ時期に、山城に私寺として高雄山寺を建立した。
天長元年(824年)、和気真綱、和気仲世の要請により、神願寺と高雄山寺を合併し、寺名を「神護国祚真言寺」(略して、神護寺)と改め、一切を空海に付嘱した。
以後、真言宗として今日に伝えている。
神護寺は、最澄、空海の活躍によって根本道場としての内容を築いていった。
正暦五年(994年)、久安五年(1149年)、二度の火災にあい,鳥羽法皇の怒りに触れて、全山壊滅の状態となった。
文覚は、惨状を見て、生涯の悲願として神護寺再興を決意するが、達成への道はとても厳しかった。
後白河法皇や源頼朝の援助、上覚や明恵といった徳の高い弟子に恵まれ、元以上の規模に復興された。
天文年中の兵火、明治時代の廃仏毀釈の弾圧にも消えることなく、法灯を護持している。
拝観料必要。(撮影日確認)
参道の途中、参道の脇の様子を撮影。
「参道」
「楼門」
たくさんの色付く木の葉。
「鬼瓦」
「境内」
「金堂」
「閼伽井(あかい)」
高雄山寺において弘法大師が行われた灌頂の浄水として使用するために、弘法大師自らが掘られたと伝えられる井戸。
仏教では仏様にお供えする水のことを「閼伽(あか)」と呼んで大切にしている。
苔の上に落ちるたくさんの色付く落ち葉。
「厄除けかわらけ」と落ち葉。
「厄除けかわらけ」は、「かわらけ投げ」に使用する。
「厄除けかわらけ」は、有料。
「落ち葉」
「錦雲峡」
この景色を見ながら、「かわらけ投げ」を行う。
苔の上に落ちた色付く落ち葉。
「境内」
~ 高山寺 ~
「こうざんじ」
「京都市右京区梅ヶ畑栂尾町」に在る。
山号は、「栂尻山(とがのをさん)」
宝亀五年(774年)、光仁天皇の勅願により開創と伝わる。
「神願寺都賀尾坊」と称する。
建永元年(1206年)、明恵(みょうえ)上人が後鳥羽上皇の帰依を得て再建、「高山寺」と称した。
明治元年(1868年)、「華厳宗本山高山寺」と称する。
明治五年(1872年)、真言宗の所轄となる。
昭和四十一年(1966年)、真言宗の単立寺院となる。
:境内は、昭和四十一年(1966年)、「史跡」に登録、平成六年(1994年)、「世界文化遺産」に登録された。
拝観料必要。(撮影日の確認)
「表参道」(境内)
「石灯籠」(境内)
苔生す木、たくさんの色付く落ち葉。(境内)
苔の上に落ちた色付く落ち葉。(境内)
「石水院(せきすいいん)」
「五所堂」とも呼ばれる。
明恵(みょうえ)上人時代の唯一の遺構になる。
「石水院」の入口の傍で撮影。(境内)
「石水院」、「南縁(なんえん)」、「庭園」、この順番で撮影。
「石水院」の庭園。
「石水院」の南縁と庭園。
道の脇に在る階段。(境内)
「金堂」へと続く道。(境内)
色付く木々。(境内)
苔生す木に落ちた色付く落ち葉。(境内)
~ 相国寺 ~
「しょうこくじ」
「京都市上京区今出川通烏丸東入」に在る。
山号:萬年山(まんねんさん)
創建:永徳二年(1382年)
開基:足利義満。
開山:夢窓礎石。
本尊は、釈迦如来。
一部拝観料必要。(撮影日確認)
「茶の木(ちゃのき)」
ツバキ科。
用部は、嫩葉。
用途は、嗜好料、カフェイン(caffeine)原料。
効能を含めた詳細は、各自で確認をお願いします。
「手水」
色付く木々。
「庭園」
たくさんの色付く木の葉。
「石灯籠」
「椿(つばき)」
ツバキ科。
「庭園」
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