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関西 2016年12月 NO.1


後日、写真等の差換え変更等の可能性があります。
ご了承ください。
2016.12.23撮影。


撮影場所に関する簡単な説明を掲載します。
詳細は各自でご確認ください。


「関西」の定義は、様々な定義があります。
当サイトの写真集では、「近畿」より広く考える定義を基にしました。
ご了承ください。

前日から当日の天気の関係(降雨)、または、散水と思われる状況より、降雨、植物や地面などが濡れている写真があります。
ご了承ください。


~ 京都府 ~


~ 宝蔵寺 ~


「ほうぞうじ」
「京都市中京区裏寺町通蛸薬師上ル裏寺町」在る。
名称は、無量山 如輪院 宝蔵寺。
山号は、無量山。
宗旨は、浄土宗西山深草派。
総本山は、願誓寺(浄土宗西山深草派)。
弘法大師空海の創立と伝えられる。
開基は、澄空如輪上人。
文永六年(1269年)、元西壬生郷に開基された。
中興開基は、玉阿律師。
天正九年(1581年)、中興開基をされた。
天正十八年(1590年)、遷化。
天正十九年(1591年)、現在地に移転。
伊藤若冲、及び、伊藤家の菩提寺になる。
伊藤若冲は、寛延四年九月二十九日(1751年11月16日)に父母の墓石を建立、明和二年十一月十一日(1765年12月23日)に末弟・宗寂の墓石を建立した。




たくさんの色付く木の葉。















「千両(せんりょう)」
センリョウ科。
常緑低木。


















「手水鉢」















「南天(なんてん)」と「石灯籠」
「南天(なんてん)」について説明。
メギ科。
常緑低木。
用部は、果実。
効能・用途は、鎮咳、強壮、含嗽料、など。
効能を含める詳細は、各自で確認をお願いします。









「像」




















~ 車折神社 ~


「くるまざきじんじゃ」
「京都市右京区嵯峨朝日町」に在る。
清原頼業(平安時代後期の儒学者)(文治五年[1189年]に逝去)を祀る。
清原頼業が生前より桜を愛でられたことにちなんで桜が植えられたことから、建立当初より「桜の宮」と呼ばれていた。
後嵯峨天皇が牛舎に乗ってこの社前を通ろうとした時に、牛車の轅(ながえ)が折れたので、「車折大明神」の御神号を賜ったと伝わる。
これ以後、「車折神社」と称する事になったと伝わる。




「手水」















「狛犬」

























「梔子(くちなし)」
アカネ科。
「巵子」、「支子」、とも書く。
「梔子」には変種や品種があるが、詳細は確認していない。











色付く落ち葉。















「桜(さくら)」
バラ科。
今の時季に咲く桜はあるが、桜の種類の確認が取れず。
今回は種類を不明としておく。

















吊り灯籠。















少しだけ残る色付く木の葉。

























弁天様への献水。













~ 京都府立植物園 イルミネーション2016 ~


「京都府立植物園」
「京都市左京区下鴨半木町」に在る。
園内の敷地面積:約24ha。
大正六年(1917年)に着工。
大正十三年(1924年)1月1日に「大典記念京都植物園」として開園。
第二次大戦中は園内に菜園が設けられ、食糧増産の場になった。
第二次大戦後は、昭和21年(1946年)から12年間、連合軍に接収され閉園なった。
昭和三十六年(1961年)4月、再び公開した。
入園料必要。(撮影日の確認)

「京都府立植物園 イルミネーション2016」
期間限定で、開園時間延長、「夜間観覧温室開室」、「ポインセチア展」、「イルミネーション」、などを実施している。
入園料必要。(撮影日の確認)




「イルミネーション」




























































「観覧温室」と「イルミネーション」















「イルミネーション」















「噴水」と「イルミネーション」




















「ポインセチア」
ドウダイグサ科。
別名は、「猩々木(しょうじょうぼく)」
ポインセチアの花は、中央の部分になる。
鮮やかな色の部分は、「苞」になる。
屋内(温室の建物)の撮影。




















~ 満足稲荷神社 ~


「まんぞくいなりじんじゃ」
「京都市左京区東大路仁王門下ル東門前町」に在る。
御祭徳は、倉稲魂大神(うがのみたまのおおかみ)、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、大国主命 (おおくにぬしのみこと)、猿田彦神(さるたひこのかみ)。
文禄年間(1592年~1596年)、豊臣秀吉が伏見桃山城の守護神として御祭神を勧請した。
後、元禄六年(1693年)、徳川綱吉が現在地に遷座した。
「満足」の二文字は、豊臣秀吉が御祭神の御加護にすこぶる「満足」したことから命名したといわれている。




「鳥居」















「狛狐」




















「手水」















「狛狐」

























「黒鉄黐(くろがねもち)」
モチノキ科。
雌雄異株。
こちらでは、「もちの木」と呼び、ご神木になっている。






















~ 壬生寺 ~


「京都市中京区」に在る。
「壬生(みぶ)」は、この辺りの村の名前。
「壬生村」に在ることから、「壬生寺」と呼ばれるようになった。
正暦2年(991年)、園城寺の快賢僧都によって創建。
新撰組の屯所として使用していた。
新撰組の屯所は、壬生寺、を含めて数ヶ所ほど在る。
新撰組は屯所を別の場所に移してからも、稽古などで利用していた。
一部隊士の墓が在る。
新撰組の縁の寺として知られる。
一部施設有料。(撮影日の確認)




「寒椿(かんつばき)」か「山茶花(さざんか)」と思われる。
「山茶花」は、ツバキ科。
「寒椿」は、ツバキ科。













「水掛地蔵(みずかけじぞう)」にお供えされている花。


















~ 誠心院 ~


「せいしんいん」
「京都市中京区新京極通六角下ル中筋町」に在る。
「華嶽山東北寺誠心院」と号する。
宗派は、「真言宗泉涌寺派」
寺伝では、初代住職は、「和泉式部」といわれる。
和泉式部の法名は、「誠心院専意法尼」になる。
藤原道長が、娘の上東門院彰子に仕えていた和泉式部のために、「法成寺(ほうじょうじ)東北院」内の一庵を与えたのが起こりとされる。
当初は、御所の東側に在ったが、鴨川の氾濫などにより、一条小川に移築再建された。
後、天正年間(1573年~1591年)、豊臣秀吉の命で、現在の地に移された。




「寒椿(かんつばき)」か「山茶花(さざんか)」と思われる。
「山茶花」は、ツバキ科。
「寒椿」は、ツバキ科。














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