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関西 2017年1月 NO.1


後日、写真等の差換え変更等の可能性があります。
ご了承ください。
2017.1.7撮影。


撮影場所に関する簡単な説明を掲載します。
詳細は各自でご確認ください。


「関西」の定義は、様々な定義があります。
当サイトの写真集では、「近畿」より広く考える定義を基にしました。
ご了承ください。


~ 京都府 ~


~ 宝蔵寺 ~


「ほうぞうじ」
「京都市中京区裏寺町通蛸薬師上ル裏寺町」に在る。
名称は、無量山 如輪院 宝蔵寺。
山号は、無量山。
宗旨は、浄土宗西山深草派。
総本山は、願誓寺(浄土宗西山深草派)。
弘法大師空海の創立と伝えられる。
開基は、澄空如輪上人。
文永六年(1269年)、元西壬生郷に開基された。
中興開基は、玉阿律師。
天正九年(1581年)、中興開基をされた。
天正十八年(1590年)、遷化。
天正十九年(1591年)、現在地に移転。
伊藤若冲、及び、伊藤家の菩提寺になる。
伊藤若冲は、寛延四年九月二十九日(1751年11月16日)に父母の墓石を建立、明和二年十一月十一日(1765年12月23日)に末弟・宗寂の墓石を建立した。




「手水鉢」















「千両(せんりょう)」
センリョウ科。
常緑低木。













「境内」













~ 賀茂別雷神社(上賀茂神社) ~


「京都府京都市北区上賀茂」に在る。
「上賀茂神社(かみがもじんじゃ)」は、「賀茂別雷神社(かもわけいかずちじんじゃ)」の通称。
平成六年(1994年)に、「古都京都の文化財」の一つとして「世界遺産(文化遺産)」に登録された。 賀茂氏の祖神である「賀茂別雷神(かもわけいかづちのみこと)」を祀る。
上賀茂神社の祭神の「賀茂別雷神(かもわけいかづちのみこと)」の母は、「賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)(通称:下鴨神社[しもがもじんじゃ])」の東殿に祀られている「玉依媛命(たまよりひめのみこと)」になる。
創建は、天武天皇七年(678年)と伝わっている。




「鳥居」















「上賀茂神社」で、正月七日に用意された、「七草粥(ななくさがゆ)」と「すぐき漬」と「お茶」。
有料で数量限定になる。













神殿に飾られていた飾り。















「外幣殿(げへいでん)(御所屋[ごしょのや])」
「新春 書道奉納」も写っている。












~ 壬生寺 ~


「京都市中京区」に在る。
「壬生(みぶ)」は、この辺りの村の名前。
「壬生村」に在ることから、「壬生寺」と呼ばれるようになった。
正暦2年(991年)、園城寺の快賢僧都によって創建。
新撰組の屯所として使用していた。
新撰組の屯所は、壬生寺、を含めて数ヶ所ほど在る。
新撰組は屯所を別の場所に移してからも、稽古などで利用していた。
一部隊士の墓が在る。
新撰組の縁の寺として知られる。
一部施設有料。(撮影日の確認)




「寒椿(かんつばき)」か「山茶花(さざんか)」と思われる。
「山茶花」は、ツバキ科。
「寒椿」は、ツバキ科。













「水掛地蔵(みずかけじぞう)」にお供えされている花を撮影。






























~ 六角堂 ~


「ろっかくどう」
「京都市中京区六角通東洞院西入堂之前町」に在る。
正式名称は、「紫雲山頂法寺」
山号は、「紫雲山(しうんざん)」になる。
寺号は、「頂法寺」になる。
宗旨・宗派は、天台宗の単立寺院になる。
開基は、「聖徳太子」と伝わる。
創建は、「用明天皇二年(587年)」と伝わる。
現在の建物は、明治十年(1877年)の再建になる。
本堂が六角宝形造(ろっかくほうぎょうづくり)であることから、「六角堂」の菜で人々に親しまれている。
いけばな発祥の地としても知られている。




「十六羅漢」
こちらの羅漢様は、にこにことしている。
こちらの羅漢様の周りには、邪鬼が居る。













「合掌地蔵様」




















「一言願い地蔵様」




















「手水」
















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