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関西 2017年3月 NO.3


後日、写真等の差換え変更等の可能性があります。
ご了承ください。
2017.3.25撮影。


撮影場所に関する簡単な説明を掲載します。
詳細は各自でご確認ください。


「関西」の定義は、様々な定義があります。
当サイトの写真集では、「近畿」より広く考える定義を基にしました。
ご了承ください。


~ 京都府 ~


~ 京都御苑 ~


「京都市上京区」に在る。
東西約700m、南北約1300m。
御所などを除いた約63haが、国民公園として終日開放されている。
「京都御所」の周囲と地区が該当する。
京都御苑が現在のような公園として整備されたのは、明治以降の事になる。




「乾御門(いぬいごもん)」
京都御苑の周りには、かつての公家町と市中の境界であった九つの御門がある。
九つの御門の一つ。
京都御苑の北西に在る。
「蛤御門の変(はまぐりごもんのへん)」では、「乾御門」は薩摩藩が護っていた。









「花桃(はなもも)」
バラ科。



















「桜(さくら)」
バラ科。



















「椿(つばき)」
ツバキ科。












~ 霊鑑寺 ~


「れいかんじ」
「京都市左京区鹿ヶ谷御所ノ段町」に在る。
臨済宗南禅寺派の尼門跡寺院。
山号は、「円成山(えんじょうさん)」
創建は、承応三年(1654年)。
開基は、後水尾天皇の皇女の「宗澄(そうちょう)内親王」
「谷御所」、「谷御殿」、「鹿ヶ谷御所」、「鹿ヶ谷比丘尼御所」、ともいう。
貞享四年(1687年)に、「後西(ごさい)天皇」の皇女の「普賢院(ふげんいん)宮」が住持した時、父帝の旧殿(今の、書院・居間)を賜り、現在地に移建された。

※今回は、期間限定・時間限定の公開中に撮影。(※拝観料必要)




「参道」




















「境内」






























「椿(つばき)」
ツバキ科。














「椿」の「日光(じっこう)」
花色は、朱紅色。
花形は、一重唐子咲き。
花の大きさは、小輪。
産地は、江戸。
別名は「紅唐子(べにからこ)」
関東での別名は「紅唐子」、関西での別名は「日光(じっこう)」、中部での別名は「紅卜伴(べにぼくはん)」 、になる。
江戸時代からある古典品種。
江戸時代の書物には「唐子」の記載があり、明治時代初期の書物には「紅唐子」の記載がある。










「椿」















「紅八重侘助(べにやえわびすけ)」
ツバキ科。
「春山茶花(はるさざんか)」
関西では「散姫(ちりひめ)」・別名の「紅雀(べにすずめ)」の原木になる。











「椿(つばき)」の「侘助椿(わびすけつばき)」の「有楽(うらく)」
ツバキ科。
別名は「太郎冠者(たろうかじゃ)」
花期は、12月~4月。
産地は、江戸。
花色は、紫桃色。
花形は、ラッパ咲き。
「侘助」、または、「侘助椿」と呼ぶ種類は、椿のように花が完全に開かないのが特徴。
別名の由来は、「織田信長(おだのぶなが)」の弟で茶人の「織田長益(おだながます)(後に[有楽斎如庵][うらくさいじょあん]と名乗る)」が、茶の湯の席に好んで用いたことによる。









「椿」




















「椿」の「ローゼフローラ」
「ロゼフローラ」とも書く。
花の大きさは、極小輪。
一重咲き。
春咲き。
中国原産の椿で原種と考えられている。
1800年代に中国からイギリスに渡り広まった椿。









「椿」の「散椿(ちりつばき)」
花びらが一枚ずつ散っていくのが特徴。














「椿」の「月光(がっこう)」
別名は「卜伴(ぼくはん)」
花色は、濃紅色。
花形は、唐子咲き。
花の大きさは、小輪。
花期は、3~4月。
春咲き。
産地は、江戸。
江戸時代の書物に記録のある古典品種の名花。

















「椿」の「五色散椿(ごしきちるつばき)」
花びらが一枚ずつ散っていくのが特徴。














「椿」




















「椿」の「村下(むらげ)」
「藪椿(やぶつばき)」の枝変わり品種。
花色は、朱紅色。
花形は、一重、筒咲き、筒しぺ、侘芯。
花の大きさは、小輪。
産地は、松江(島根)。
花期は、1~3月。












「梅(うめ)」













~ 真如堂 ~


「しんにょどう」
「京都市左京区浄土寺真如町」に在る。
正しくは、「鈴聲山 真正極楽寺(れいしょうざん しんせいごくらくじ)」
比叡山延暦寺を本山とする天台宗の寺。
一般には、「真如堂」と呼ばれているが、元々は、本堂の呼び名になる。
永観二年(984年)、比叡山延暦寺の戒算上人(かいさんしょうにん)が、比叡山常行堂の本尊の阿弥陀如来像(慈覚大師 作)を東三條院(藤原詮子[円融天皇の女御、一條天皇の御母、藤原道長の姉])の離宮があった現在の地に移して安置したのが始まりと伝わる。
一部の施設に拝観料必要。(撮影日確認)




「境内」




















「本堂」から「三重塔(法華塔)」を撮影。






















「庭園」




















「庭園」
「書院 隨縁の庭」














「庭園」
「涅槃の庭」














「梅(うめ)」
バラ科。



















「椿(つばき)」
ツバキ科。















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