このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


関西 2017年5月 NO.3


後日、写真等の差換え変更等の可能性があります。
ご了承ください。
2017.5.7撮影。


撮影場所に関する簡単な説明を掲載します。
詳細は各自でご確認ください。


「関西」の定義は、様々な定義があります。
当サイトの写真集では、「近畿」より広く考える定義を基にしました。
ご了承ください。


~ 京都府 ~


~ 一華院 ~


「いっかいん」
「京都市東山区本町」に在る。
宗派:臨済宗東福寺派。
東福寺塔頭の一つ。
創建は、永徳二年(1382年)、東福寺の第六十七世 東漸(とうざん)禅師。
院の名前の「一華」は、初祖 達磨大師がインドから中国へ来られて、二祖 慧可大師に印可を与えられた時に詠んで与えたという「伝法偈(でんぽうげ)」の一説「華開五葉 結果自然成(一華五葉を開き 結果自然に成る)」に由来する。

※通常は非公開。(撮影日確認)




「庭園」の「依稀松(いきまつ)の庭」
写真の中央のの松は「依稀松(いきまつ)」





























「北庭」の「彷彿石庭(ほうふつせきてい)」
平成28年(2016年)110月ら完成した庭。














「境内」




















~ 北野天満宮 ~


「きたのてんまんぐう」
「京都市上京区馬喰町」に在る。
祭神は、中殿に「主神」・「菅原道真 (すがわらのみちざね)」朝臣(あそん)、東間に、「中将殿」・「菅原道真の長子 高視(たかみ)」、西間に、「吉祥女(きちじょうにょ)」・「菅原道真夫人」、を祀る。
「太宰府天満宮」と共に全国天満宮一万余の宗祠になる。
天慶五年七月十三日(942年8月27日)、西京七条に住む巫女(みか)多治比奇子(文子)(たじひのあやこ)は、菅原道長の託宣を受け、邸内に小祠を構えて神霊を奉祀した。
天暦元年(947年)、北野の現在地に移祭した。
「北野天神」などの別名がある。
親しみを込めて「北野の天神さま」とも呼ばれている。
一部施設有料。(撮影日の確認)




「手水」

























「三光門」
「中門」
「三光門」の名前の由来は、豊富な彫刻の中に、日・月・星、があることによる。












「楼門」















「牛の像」


















~ 東福寺 ~


「京都市東山区本町」に在る。
山号は「慧日山(えにちさん)」
宗派は、臨済宗東福寺派。
寺格は、大本山。
奈良における最大の寺院である東大寺、奈良で最も盛大を極めた興福寺、になぞらえて、「東大寺」の「東」と「興福寺」の「福」にちなんで、「東福寺」と名付けられた。
嘉禎二年(1236年)から建長七年(1255年)に掛けて19年を費やして完成した。
九条道家が九条家の菩提寺として建立。
開山は、「聖一国師(しょういちこくし)」
一部施設有料。(撮影日確認)




「臥雲橋」から「通天橋」方面を撮影。















「境内」




















「通天橋」から「臥雲橋」方面を撮影。




















「通天橋」




















「開山堂庭園」




















「緑色の木の葉」と「赤色と緑色の翼果(よくか)(実)」




















「境内」















「境内」から「通天橋」を見るように撮影。















「洗玉澗」





















「本堂」
















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