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関西 2017年6月 NO.1
後日、写真等の差換え変更等の可能性があります。
ご了承ください。
2017.6.10撮影。
撮影場所に関する簡単な説明を掲載します。
詳細は各自でご確認ください。
「関西」の定義は、様々な定義があります。
当サイトの写真集では、「近畿」より広く考える定義を基にしました。
ご了承ください。
~ 京都府 ~
~ 藤森神社 ~
「ふじのもりじんじゃ」
「京都市伏見区深草鳥居崎町」に在る。
今から約1800年前に、神功皇后によって創建された皇室ともゆかりの深い古社。
「菖蒲の節句の発祥の神社」として知られている。
現在は、「勝運と馬の神様」としても知られている。
「紫陽花苑」が在り、たくさんの紫陽花が植えられている。
一部有料施設有り。(撮影日確認)
「紫陽花(あじさい)」
ユキノシタ科。
「手水」
「不二の水(ふじのみず)」
説明板の内容を転記する。
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藤森神社の創建は平安遷都以前。
桓武天皇により都の南を護る守護神、大将軍社が置かれました。
五月五日に行われる藤森祭(深草祭)は平安時代に清和天皇の勅命による「貞観の祭」を起源とし、武者行列や駈馬神事が行われます。
藤森神社は端午の節句に武者人形を飾る菖蒲の節句発祥の地。
ご神水「不二の水」は二つとないおいしい水という意味で、武運長久・学問向上、特に勝運を授ける水として信仰されています。
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「花菖蒲(はなしょうぶ)」
アヤメ科。
~ 宝蔵寺 ~
「ほうぞうじ」
「京都市中京区裏寺町通蛸薬師上ル裏寺町」に在る。
名称は、無量山 如輪院 宝蔵寺。
山号は、無量山。
宗旨は、浄土宗西山深草派。
総本山は、願誓寺(浄土宗西山深草派)。
弘法大師空海の創立と伝えられる。
開基は、澄空如輪上人。
文永六年(1269年)、元西壬生郷に開基された。
中興開基は、玉阿律師。
天正九年(1581年)、中興開基をされた。
天正十八年(1590年)、遷化。
天正十九年(1591年)、現在地に移転。
伊藤若冲、及び、伊藤家の菩提寺になる。
伊藤若冲は、寛延四年九月二十九日(1751年11月16日)に父母の墓石を建立、明和二年十一月十一日(1765年12月23日)に末弟・宗寂の墓石を建立した。
「梅(うめ)」
バラ科。
「紫陽花(あじさい)」
ユキノシタ科。
~ 壬生寺 ~
「京都市中京区」に在る。
「壬生(みぶ)」は、この辺りの村の名前。
「壬生村」に在ることから、「壬生寺」と呼ばれるようになった。
正暦2年(991年)、園城寺の快賢僧都によって創建。
新撰組の屯所として使用していた。
新撰組の屯所は、壬生寺、を含めて数ヶ所ほど在る。
新撰組は屯所を別の場所に移してからも、稽古などで利用していた。
一部隊士の墓が在る。
新撰組の縁の寺として知られる。
一部施設有料。(撮影日の確認)
「水掛地蔵(みずかけじぞう)」にお供えされている花を撮影。
「石像」
~ 勝林寺 ~
「しょうりんじ」
「京都市東山区本町」に在る。
宗派は、臨済宗東福寺派。
東福寺の塔頭の一つ。
創建は、天文十九年(1550年)、第二百五世住持 高岳令松、による。
毘沙門天を祀ることから、「東福寺の毘沙門天」と呼ばれている。
「蓮(はす)」
スイレン科。
たくさんの緑色の木の葉。
「手水」
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