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関西 2017年8月 NO.1


後日、写真等の差換え変更等の可能性があります。
ご了承ください。
2017.8.26撮影。


撮影場所に関する簡単な説明を掲載します。
詳細は各自でご確認ください。


「関西」の定義は、様々な定義があります。
当サイトの写真集では、「近畿」より広く考える定義を基にしました。
ご了承ください。


~ 京都府 ~


~ 毘沙門堂 ~


「びしゃもんどう」
「京都市山科区」に在る。
通称は「毘沙門堂門跡(びしゃもんどうもんぜき)」
天台宗の門跡寺院。
七福神のひとつの毘沙門天をご本尊とする。
ご本尊に七福神のひとつの毘沙門天を祀ることから「毘沙門堂」の名がある。
創建は、大宝三年(703年)、文武天皇の勅願で行基によって開かれたと伝わる。
寛文五年(1665年)、天海僧正の弟子・公海大僧正によって現在地に再興。
後西天皇の皇子公弁法親王が入寺してより門跡寺院となった。
代々法親王が住持。
施設の一部は入場料必要。(撮影日確認)




「極楽橋」、「寺号の碑」、参道。




















「参道」




















参道途中で落ちていた紅色の落ち葉。















「手水」















「本堂」































~ 宝蔵寺 ~


「ほうぞうじ」
「京都市中京区裏寺町通蛸薬師上ル裏寺町」に在る。
名称は、無量山 如輪院 宝蔵寺。
山号は、無量山。
宗旨は、浄土宗西山深草派。
総本山は、願誓寺(浄土宗西山深草派)。
弘法大師空海の創立と伝えられる。
開基は、澄空如輪上人。
文永六年(1269年)、元西壬生郷に開基された。
中興開基は、玉阿律師。
天正九年(1581年)、中興開基をされた。
天正十八年(1590年)、遷化。
天正十九年(1591年)、現在地に移転。
伊藤若冲、及び、伊藤家の菩提寺になる。
伊藤若冲は、寛延四年九月二十九日(1751年11月16日)に父母の墓石を建立、明和二年十一月十一日(1765年12月23日)に末弟・宗寂の墓石を建立した。




「蜻蛉(とんぼ)」
「シオカラトンボ」か「オオシオカラトンボ」かと思われる。
漢字で書くと、「塩辛蜻蛉(しおからとんぼ)」、「大塩辛蜻蛉(しおからとんぼ)」、になる。
特徴から考えると「オオシオカラトンボ」かと思われる。
「オオシオカラトンボ」・「シオカラトンボ」
トンボ科シオカラトンボ属。









「手水」













~ 壬生寺 ~


「京都市中京区」に在る。
「壬生(みぶ)」は、この辺りの村の名前。
「壬生村」に在ることから、「壬生寺」と呼ばれるようになった。
正暦2年(991年)、園城寺の快賢僧都によって創建。
新撰組の屯所として使用していた。
新撰組の屯所は、壬生寺、を含めて数ヶ所ほど在る。
新撰組は屯所を別の場所に移してからも、稽古などで利用していた。
一部隊士の墓が在る。
新撰組の縁の寺として知られる。
一部施設有料。(撮影日の確認)




「水掛地蔵(みずかけじぞう)」にお供えされている花を撮影。

























~ 勝林寺 ~


「しょうりんじ」
「京都市東山区本町」に在る。
宗派は、臨済宗東福寺派。
東福寺の塔頭の一つ。
創建は、天文十九年(1550年)、第二百五世住持 高岳令松、による。
毘沙門天を祀ることから、「東福寺の毘沙門天」と呼ばれている。




緑色の木の葉。















「睡蓮(すいれん)」
スイレン科。














「蓮(はす)」
スイレン科。




















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