2006年08月23日 00時44分34秒 | 我が愛しのJR四国へ | 今日は久しぶりの夕立っぽい感じというか、
T海地方は帰宅時間帯の大雨で大混乱状態に陥ったわけだが、
他の地方の方々は大丈夫だっただろうか。
この時期を過ぎると気温も落ち着いてきて、
またさらに一ヶ月も過ぎれば
なかなかに過ごしやすい季節の到来となるわけだが、
こうなってくるとまたうずうずと頭をもたげてくるのが
遠くに行きたい病である。
しかしながらなにぶん今まで生きてきた土地というのが
ほとんどS国の大都会T松であったため、
鈴鹿山脈の陰に隠れて見えない偉大な田舎N古屋の存在などは
N古屋圏に来るまで意識したこともなかったし、
T京よりも北の地域については
寂寞と広がる未開拓地のようなイメージであって、
大リゾート地H海道に突き当たるまでは空白地帯というイメージである。
まあ、実際にはそこにどんな街が存在していて、
どういった県のならびになっているかという事は
大体把握しているつもりではあるが。
個人のこういった感覚については『バカ日本地図』という
一時期流行った本などを見てもらえると分かりやすいかと思う。
思った以上に個人の地理感覚などというものはいい加減なものであるし、
出身地方によっては都市間移動の感覚も大きく違うのである。
都会(?)に来て思ったことは
田舎というのは都会から見てみると思ったよりも田舎であって、
あくせくと都会を目指す努力は速めに放棄してしまって、
むしろ田舎であることへの商品価値を見出したほうがよいのではないか
ということだったりもする。
自分の出身都市を褒めるのもなんだか手前味噌な感じで気が引けるが
確かにT松という街は少なくともちょびっとは都会的ではあると思う。
少なくとも駅の半径数100メートルの範囲は。
しかしながら四国という土地はいうなれば殆どがど田舎であり、
最新の設備の列車だとか、どこそこまで何分所要時間が縮まりましただとか
そういうことにはほかの地方からやってくる人間は特に気にしていないように思う。
もちろん頻発ダイヤはあれば便利だとは思うし、
できれば全線複線で、列車交換が頻繁に起こるようなことはないほうがいい。
しかし、それをするだけの資金力が我が愛する四国にないのであれば、
もういっそのこと『都会』になろうとしない方がいい。
都会人がうっとりと妄想するところの田舎を作り上げればいいのだ。
田舎は、客を呼べる。
きっと、そう思う。
ただし、勘違いしてはいけないのは、
都会人の求める田舎というのは、
『都会と同じように便利でありながら、恐ろしくノスタルジックな空間』
という事であって、
田舎人がもううんざりしてしまい尽くしたような『田舎』ではないということだ。
RVにこれでもかと言わんばかりの『キャンプ用品』を積み込んで、
電気が確保されているオートキャンプ場で電気で米を炊き、
携帯用ガスレンジでカレーを作って、やっぱり大自然はいいね
などとぬかす様な人間の夢想する田舎というのはまあ、ご想像にお任せ。
Now Playing:
-Gustav Holst- "Saturn ,the Bringer of Old Age " |
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