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松山旅行記・7
ふ。
終わったと思ったやろ?
違うんやな。まだ続くのよ、この旅は。
朝6時45分(?)京都駅着。
例の如く、灼熱地獄で京都に降り立った我々は、
ML松山指定席には二度と乗らんと決意を新たにしつつ、
朝靄の京都駅に降り立った。
ここで4人のうち一人は分離する。
ここから新幹線に乗り、朝10時に会社に出社する為だ。死ぬぞ。
そこまで身体の頑健ではない我々3名は、京都のマクドで朝飯を食い、
…そういえば、
関西人はマクドの事をマクドというが、朝食メニューの事は朝マックと言うなぁ…
ま、それは置いとくとして、
これといってどうという事もないマクドだった。
飯を食うためにはどんどん地下に下りていかなくてはならない点を除けば。
我々は既に気付いていた。
あの忌々しいML松山を降りた時から体力の限界は確実に近づいていたのだ。
俺は言った。
『せっかくやし、嵐山の方でも行くか』
貧乏根性を発揮した私が間違いでしたorz
そのままの勢いで山陰本線普通列車に乗車。
嵯峨嵐山駅に向かう。
俺「そういえば、嵐山いうたら、渡月橋やんな。」
と言うと、面子の中の1人が小学校の時にいったことがあると言う。
我々は彼女に道案内を頼んだ。
速いよ。俺はもうフラフラだよ。
俺:
「こっちの方向であってるん?」
彼女:
「多分。ほら、何かこっちの方歩いた気がするし」
お、川があって、橋があるわ。
ほー、こんなもんですか。
●渡月橋。桜の蕾もぼちぼち●
松山はもう、桜咲いてたのに、こっちはまだ固い蕾のままやね。
松山あったかかったんやなぁ…
などと思って歩いていると、
発見。
●カモですわ。●
めちゃくちゃ頑張ってる感が出てるけども、
前に進んでないと言うか、故意にそうしてるようにしか見えない。
楽しいな、こいつら。
徒労という言葉について彼らと語り合ってみたいな。
その後、竹林に行くも、いい構図の写真が撮れない。
流石プロ。綺麗な絵を撮るなぁと関心。
あそこまで清冽な静けさをここでどう表現しろというのだ。
無理だったよ。何か締まりがない
その後、保津峡へと移動。
絶景を期待したが、今絶景を味わうためには嵯峨トロッコ鉄道(だっけ?)
で、山陰本線の旧線を行くのが一番手っ取り早そう…
しかし金の無い我々は、保津峡駅から一枚写真をとって退散する事に。
●で、その保津峡駅で、見たもの。●
何を勝手ながら休業するのか。
ただの養生シートの汚い山が申し訳なくする理由を400字以内で述べよ。
とか思いつつ、お腹の調子が悪くなってきたので、
保津峡駅のトイレに行くと、紙がない。諦めて外に出たが、
トイレの張り紙に、トイレが破壊された事、修理したがこんな事が続くと
修理する経費が出なくなる事、みんなの物だから大事に使ってくれ、と
半ば懇願するような文面。気の毒だった。
そんな奴等のおかげで俺が気の毒になっているのだ。
腹痛と闘っているのだ。
許すまじ、トイレ破壊軍団。
その後朦朧とする意識で二条へ。
二条駅はかっこいい基地のような建物だった。
俺は前の二条駅の方が好きだったが。
●二条駅の天蓋がかっこいいね。●
そこからの記憶はあやふやである。
米原で接続列車がえらい事になってて一本見過ごした事と、
大垣で接続列車がえらい事になってて一本見過ごした事と、
金山で天候調整を下ろすべく、ほとんど飛んだ意識の中で
うろうろした事くらいしか憶えていない
次の日は18時間くらい寝てました。
そろそろ、18切符でもないんやろうか。
楽しかったけどな。
最後に。
天候調整君は、このたび地震を引き起こしたため、新肩書き
天災(てんさい)
と名乗らせる事になりました。
みんな、彼のせいです。
そういう事にしておけば私の仲間は幸せなのです。
この旅の収穫です。
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