このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

戻る - 参加  

手抜き日記

2007年05月31日 01時33分45秒讃岐弁
そもそも、きちんとした讃岐弁になっているのか、
はたまた、きちんとしたイントネーションかどうかは置いておくとして、
26年の人生の中で17年(多分)を過ごした香川県の言葉というものは
体の隅々にまで染み付いているわけで、
県外人からみれば(県外人が讃岐弁を識別できるか否かは別として)
私は間違いなく讃岐人であると言えるだろう。

生まれは間違いなく石川県金沢市で、
石川県人の父と愛媛県人の母を持ち、
うどんを主要因とする炭水化物摂取過多により丸々と育った私は
どうにもおそらく讃岐人げな言語体系を持つに至り、
『どっしょんぞ(何をしているのですか)』とは言わないまでも
『なんしょんな(どっしょんぞと同意)』と言う紛れもない讃岐人。

それでも、中学高校時代には葛藤があった。
こんなに訛っている讃岐弁で『都会』に出ようものなら
都会人の皆様方に失笑を買った挙句に田舎人のレッテルを張られるのではないかと。

この場合の『都会』とは神戸、大阪、京都のことであって、
東京は『敵地』と断じていた為考慮に入らない。
ましてや、四国から見れば鈴鹿山脈のちょうど影に入っていて見えない
名古屋などと言うことに住むことになろうなどとは夢にも思っていなかった。

ちょっとでも讃岐弁から離れたい。
そういう思いが思春期の私の中にあったことは否定できない。
それに加えて、加賀弁、伊予弁の影響もあったのだろうが、
讃岐弁と言うには若干怪しい言語文化を持つようになった私は
『脱讃岐人』となっただろうと、より関西弁に近くなったであろうと、
そういう風に思っていた。

讃岐の地を脱出し、何の因果か愛知県に住むことになった私は
結局、自分は讃岐弁であったと言うことを骨の髄まで思い知らされる。
友人が撮ったビデオに写っている自分が喋っているイントネーションは
紛れもない讃岐弁のそれであった。

しかし、名古屋の地に着てから、改めて讃岐弁を聞くと、
思春期に何故あんなにも思い悩んだのか分からないほど、
讃岐弁が自分の体にフィットしているのを自覚する。
もちろんこの地域では讃岐弁は完全にアウェイであるので、表現には気を使う。
あまり強い表現は使わず、できるだけこちらの言葉の語尾に近づくようにするか、
やわらかい丁寧な言い回しを心がけてはいる。

やわらかい言い回しに関して言えば、関西人との交流というのも
ひとつ自分の言語環境を豊かにするのに一役買ったかもしれない。
それが故かどうかは知らないが、讃岐弁ベースで話していると
こちらの地方の方は勝手に私が『関西人』であると誤解をしてくれる。
A「あ、関西の方なんですか?」

…ここで、否定をするか、肯定をするか。
何せ、出身地は輝かしい『わがかがわ』である。認識率は限りなく低い。

私「いえ、四国出身なんですよ」
A「へぇ、四国いいところですよね〜。四国のどこですか?」

二言目に『いいところですよね』が来たあたりで
最早これ以上の絞込み作業は危険水域なのだが、
自分から振って来ているのだから仕方がない。
墓穴を掘ったことを認識しながらも答える以外の方法がない。

私「香川県です。四国の高松。ご存知ですか?」
A「あ…、あーあーはいはい。いい所ですよねー」

嘘をつけ嘘を。

ともあれ、讃岐弁はいい言葉である。
一説には平安時代からの雅な雰囲気を一番よく残している言葉とも言われる。
まあ、しかしこの説に関しては香川県の公式HPあたりに載っていた話だった筈なので、
私の眉毛はもうツバでべとべとの勢いではあるが、
まあ、ここらで愛郷心を発揮していても問題はなかろう。

『讃岐弁は日本で一番雅な言葉である』
書いていて自分でケッと思うが、これは愛郷心の成せる業であるので、
この段落についての批判は一切受け付けないこととする。


しかし、名古屋に来て、まさか自分の語尾に
『さぁ』とか『だで』とか『ねー』とか『だよ』とか『だもんで』とか『だね』
とかいう単語がくっつくとは夢にも思わなんだわ。
こりゃあ、故郷に帰ったときにでも、
『まーやっとかめだがー。何しとりゃあしたの?』
とでも言うしかあるまいて。

Now Playing:
-Pat Metheny Group- "You"

2007年05月30日 23時09分59秒Micr●softupdate
融通が利かないというか何と言うか…
pluginやなんやかやを色々とPCに叩き込むのに
window●updateをかけてコンピュータを『最新の状態』にした訳だが、
特にIEまわりのセキュリティ強化ツールが鬱陶しい気がする。

SNSあたりのページ読み込みに時々拒否反応を示したり、
JAVAアプレットの読み込みを拒絶して勝手に終了したり、
エラーメッセージが出る。

暇なときにはもう一度そのページを開けばいいだけなのだが、
リンクを辿りまくった先のページがいきなりカットされたら、
もう一度行けったって、そうは簡単に行けんぞと。

大体、昨今セキュリティソフトを導入していないユーザーなんてどれくらいいるのか。
まあ、結構いるんではあるだろうけれど、
ほんの数千円の出費を惜しんで自爆するような人間はほって置けばいい訳で、
とりあえず自衛手段を講じている人間にとって、
MS様の有り難い押し付けセキュリティなんぞ信用に値するものではない。

しかしながら、一度入れてしまった以上、
どの更新プログラムが影響を及ぼしているのか当たりをつけるのも面倒くさく、
その状態を改善するためにupdateを繰り返す羽目になる。

まあ、偉大なOSベンダーであるところのMS様のプログラムを
有り難く利用させて頂いている木っ端ユーザーが文句を言うべき問題じゃない
と言うのであれば、まあそんなもんではあるが、
結局ハイ・パフォーマンスのPCを導入する理由なんていうのは
ほんの数秒の時間を稼ぎ、イライラしない為なんであって、
それが我慢できるのであれば、別に5年落ちのPCだって特に問題はない。

そこの辺りのことが本当にわかっているのか。

ウイルス食らったって自業自得、
勝手に組んだPCが落ちたって、HDDがクラッシュしたって、
大体のことは我慢できる。それが自作PCと言うものだから。

しかし、こういうのは歯に引っかかった食べかすの様に気になる。

Now Playing:
-Mr.children- "ポケット カスタネット"

2007年05月26日 09時11分15秒新しいビジネス
何だか、『新しいビジネス』とやらで儲けている人がいるようですよ。

何でも、『ネットワークビジネス』だとか、
『ネットワークビジネスではない新しいビジネス』だとか、
そんなことが書いてある訳ですが、
そういうような日記を公開している人からの足跡が
mixiに結構な割合で残されているわけで…

特にこの4月以降に顕著に増加していますね。

会社の経営に行き詰って切羽詰ったところに救いの手が、とか、
主婦なんですけど在宅で夫の収入以上のものを手に入れました、とか。

皆様判で押したように今年の4月以降にmixiを始めていらっしゃいまして、
これは偶然の一致なのかな〜?なんて苦笑しながら読むわけですが。

簡単に儲かるとか、儲かったから皆さんにおすそ分けとか、
そういったことが書いてあるわけで、
でも、たとえば自分がそんな簡単な金づるを見つけたとしたら
自分が満足するまで儲けきるまで人にはそんなこと教えませんよ。

『誰でも成功できる』なんて書いてあったりもします。
そんな事誰が保障するのよ?(笑)

私の友人も、一人ネットワークビジネスと称するねずみ講に引っかかって、
ほんの数ヶ月で宗教じみた妙にキラキラする目で
ネットワークビジネスの素晴らしさを語って聞かせてくれましたが、
アホな事ばっかり言うんでないと、出入り禁止指定。
ヤツは今どうしているのやら。
一時期羽振りはよかったようではあるけれど。

『友達のお前にだけ紹介する』とか、
『みんなが幸せになれる』とか、
甘い言葉で色々な事を言われたって、
どう考えたって破綻する事が目に見えている商売を信じたって、ねえ?

ねずみ講、気をつけましょう。

2007年05月25日 22時23分49秒地味にしんどかったこと
本当に久々に自作PCなんぞをこしらえた訳だが、
本当に久々だったために、いろんな小さな苦労をした。

まず、
とりあえず、説明書の類は一切読まない事にしているので、
ある部品をはまる場所に次々に差し込んでいく訳だが、
いつの間にやらCPUにはファンの付いているCPUクーラーが必須のご時世になっていて、
それを取り付けるのに、いろんな向きにしてみたりなんやかんやで苦労。
また、いつの間にやらジャンパピンが恐ろしいほど少なくなっていて、
まあ、変更することもあるまいと思って放置。

いつの間にやらIDEコネクタがSATAなるものに取って代わられていて驚愕。
光学ドライブのジャンパ設定をいったいいかがすべきかで思い悩む。
…結局プライマリ・マスターでOKだったらしい。

とりあえず、刺さるところに刺さるものを差し込んだので意気揚々と電源ON。
うきうきしながらHDDパーティションを切って、OSインストール。起動。

何や簡単やないかと思ったのもつかの間、
ドライブ類を叩き込んだら、いきなり正体不明のアクセスエラー。
マイコンピュータ呼び出してから、HDDが回るまで3時間って何やこれは。

ははぁ、これはあれやな、光学ドライブのピン設定がまちがっとって、
HDDと整合性が取れてないからやと思って、
ジャンパをプライマリ・スレイブに変更。
この時点でいちいち光学ドライブを抜き差しするのが面倒くさくなって、
PC半分解状態で作業に入る。

…そしたら今度はCD読みにいかんようになったがな。
こいつはBIOS設定がマズかったかもしれんということで(この時点で手付かず)
今度はBIOSを確認。BOOT順位の一位にあるはずもないFDDがあること以外は
特に問題があるようにも思えない。

んー、どうなってんや?
と思って、OS入れなおして、ドライバをひとつずつ入れながら動作確認作業。
どうも、Plextorの純正アプリケーションが犯人だったと発覚。
ようやく胸をなでおろしたら、今度はUSBがないことになっとるがな。
Chipsetのドライバを何回か入れなおすも、音沙汰無し。
『現在使われているドライバよりもいいものはありません』って、
その『いいもの』のおかげで全然使えん状況をどうしてくれよう。

今度は念には念を入れて、オンボードのUSBポートに機器を接続した状態で
もう一回セットアップをしなおすことに。
これでどうやらUSBは認識した模様。

ここまでこぎつけるのにたぶん5日くらいかかったわけで。
仕事が終わって家に帰ってくるや、夜な夜なこんな作業に明け暮れて、
何か当たり前にドライバ類が動作するメーカーPCの偉大さを知った。

自作もええけど、
メーカーPCも捨てがたいなぁと。

ま、でも、深刻な事態に陥らん限りは、
次のPCリプレースは3年後くらいかなぁ。

ノートPCの処分どうしようかな…

2007年05月23日 23時13分54秒新パソコン
ようやくちょこちょことパーツを買い足していたパソコンを組んだ。

久々にPCを組んだ(7〜8年ぶり?)が、
何かとっても簡単になっているなぁと。

特にBIOSとドライバ関連はとっても簡単になっていて、
昔四苦八苦していたのが嘘のよう。
それでも、色んなところに小さな不具合が出まくって、
結局システムの再インストールを繰り返すこと6回、
ようやく思ったような感じに仕上がったのでこれでいいかと。

スペックは妥協の産物以外の何者でもないが、
それでも現状で自分の望む以上のものが出来上がったなと自画自賛。
これでネットゲーも心行くまで楽しめるというもの。
後は様子を見てメモリの増設をするだけだなと。

スペック。
GIGABYTEの965ベアボーン使用。

PentiumD935 3.2GHz
メモリDDR2  1.0GB
グラフィック RADEON1650 DDR2256MB
電源     300W
光学ドライブ PLEXTOR PX-716A
HDD     SEAGATE 320GB STATA
内臓USBカードリーダ

といったような感じ。
もちろんOSはXP。
仕事では散々VISTAを薦めてはいるが、
個人で使うとなれば話は別。
基本的にこなれていい感じに枯れているものしか使わないので、
こんな構成で何の不満もない。
Core2Duo?高いわ。

ちなみにこのPCで一番気に入っている部分が
Gatewayの純正キーボード。
この感触が一番しっくり。
FILCOのメカニカルキーボードが憧れであると言えばそうだが、
特に現状で不満はないです。

さてと、大航海の海原にでも旅立ってみようかな〜なんて。

2007年05月10日 02時00分52秒印刷
色々と撮り貯めた写真をちょっと大きくプリントしてみようと思い立ち、
いや、正確には教授Yにそそのかされて、愛機MP500を稼動させる事に。

その前に近くの家電量販店でA4の光沢紙を購入。

早速印刷を掛けて見たが…
う〜ん。1眼レフ持ってからの写真をずらっと見てみたら、
なんや俺、電車の写真ばっかりしかとってないやないの…

まだコンデジ使ってた頃の方がいろんな写真を撮っていた。
よくよく考えてみると、撮りたいと思ったときにすっと取り出せる機動性の差こそ
被写体のバラエティの差になっているのだろう。

こりゃ、外に出かけるときはケースなんかに入れずに、
裸で肩からかけるしかないなぁ。

自分で撮っておきながらなんだが、流石に電車ばかりだとげんなりしてしまう。
いや、電車好きなんですけど、それでも、ね。

結局、コンデジ時代の写真と一緒に約10枚ほど印刷。
やはり320万画素デジカメの限界というか、
コンデジの方の印刷物は粒子が粗かった。
やはりA4出すなら出来れば600万画素以上必須という事なのね。

いやしかし、
大判印刷は、迫力があっていい。
しかし、大判印刷は、刷った後に飾る場所、しまう場所に困るものでもあります。

A4プリンタお持ちの方、
一度お試しあれ。
結構安い紙でもそれなりに感動しますよ。おおっ!て。

2007年05月10日 01時49分54秒一球入魂
久々に教授Yとバッティングセンターに。

プロ野球オンシーズンのこの時期、
以前であれば連敗阻止の為によく『祈願バッティング』を行っていたが
ここ一年ほどは何かとバタバタしていた為、何となく足が遠ざかっていた。

ほぼ1年のブランクを抱えつつバッターボックスへ。
始めのケージは115km/h。
球を追えない。25球中バットに当たったのはほんの5球程度。
更にマシンの球筋がベース通過時には足のくるぶしの高さに球が来るという不思議設定。
そりゃ当たらんわ。

もともと、剣道などというものをやっていたせいで『バットを返す』ことが出来ず、
ずっと感覚としてはボールを切りつける感じだったのだが、
ここ数年のイメージトレーニングで何とか最近
バットを返すという動作が出来るようになった。

しかしながら、手のひらから殆ど竹刀だこも消え、
ふにゃふにゃになった我が軟弱な手は100球の打ち込みですら悲鳴を上げる始末。
左手にはめた軍手の摩擦で親指の関節(甲側)にまめが出来て破れた。
あいたたたた…

ほんの100球で汗だく。
背中は汗で張り付くシャツの感覚が…

う〜ん、運動不足やな。
めいいっぱい体を動かす運動がしたいなぁと思いつつ。

そのうちラウンドワンにでも行くかな。

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください