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九州旅行記・2005年10月25日


本日の行程
2日目鹿児島中央→(特急きりしま)→南宮崎→(鈍行)→志布志→(バス)→西都城→(鈍行)→都城→(鈍行)吉松→(鈍行)→都城→(特急きりしま)→宮崎→(鈍行)南宮崎→(特急ドリームにちりん)→ 4日目

1.鹿児島中央→志布志

7時半起床。今日はホテルをチェックアウトするので荷物をまとめて、8時過ぎにホテルを出た。鹿児島中央駅前の郵便局で金を下ろして駅へ。少しお土産を買って、8時20分過ぎにホームに下りた。するとすでに乗車予定の特急きりしま4号が乗車できる状態だった。一般的に特急列車などは始発駅では発車直前まで乗れないのだが、JR九州ではけっこう早くから乗れる列車が多いので助かる。大きな荷物をおいてから、キハ58などの写真を撮る。

指宿枕崎線で踏切事故があったらしく、列車は定時の2分遅れで鹿児島中央駅を出た。列車は485系の5連。車内は昔のままだが、車体は赤く塗られている。鹿児島中央から5分ほどで鹿児島駅に着き、鹿児島駅を出ると鹿児島湾沿いを走り、桜島が見えてくる。私が座っていたのは桜島が見える進行方向右側とは逆の左側なのだが、自分の席から見ると、右側のいくつもの窓にまたがって雄大な桜島が見える。列車の乗車率はけっこう良く、ほぼ全ての2人がけの席に1人ないしは2人座っていた。指定を取らない人が多いのかな…。JR九州では喫煙車を1編成あたり1両にして、その1両に自由席と指定席の両方を設けている。

列車は昨日乗換えをした隼人を過ぎると山の中に入っていき、9時半に霧島神宮駅に到着。霧島神宮まで相当な距離があるのにこの名前をつけるのはいかがなものかと思う。霧島神宮を過ぎてからも山の中を突き進み、宮崎県にはいると都城盆地になり、高架駅の西都城駅、そして都城駅に到着。この2駅は後ほど訪れるので、そのときに紹介。

都城の次の三股駅は郊外の駅にしては不釣合いなほど大きな駅。かつては貨物輸送とかがあったのかな…。都城盆地を過ぎると再び山の中へと入る。山之口駅と青井岳駅の間にある楠ヶ丘信号場で下り特急と行き違い。このあたりでは境川という川と何度も交差する。都城から30分ほど山の中を通ると、ようやく宮崎平野に出てくる。そして定刻より1分半ほど遅れて、10時43分に南宮崎駅に到着。

ここでは2分接続で日南線に乗り換え。鹿児島中央を2分遅れて出発したので、車掌さんに日南線との乗り換えは大丈夫かと聞いたら大丈夫だと言われた。その言葉のとおり、日南線の列車は待ってくれていた。だがすぐに発車ということなので急いで跨線橋を渡り、乗り換えた。

日南線の志布志行き1933Dはキハ40の単行。キハ40は北海道で乗りまくった車両だが、北海道用と違って中間扉がなく、エンジンの音も違うと思う。だから同じ列車に乗っているという感覚はあまりない。車内はけっこう混んでおり、ボックス席は全部埋まっていたので、ロング部に座った。南宮崎の次の駅である田吉駅は行き違いで、ここから宮崎空港線が分岐している。宮崎空港へは別府・大分からも直通列車があるので、電化されている。宮崎空港線は乗りたかったのだが、飛行機の発着する時にしか列車がないため、乗れなかった…。

ワンマン運転と放送が入っているのに車掌さんが乗っていたが、子供の国駅で下車。何かの用事で乗っていたから、ついでに車掌業務をしていたのかな。このあたりから海沿いを走り、そしてフェニックスが生えていて、いかにも南国という感じがする。青島駅で黄色のキハ40単行とすれ違い。九州色キハ147の2連が留置してあったから、ラッシュ時などは使うのかな。

内海駅・小内海駅あたりで見えるのは「鬼の洗濯板」。ここは水成岩という岩が隆起して、波の浸食でこのようになったらしい。この辺りは10年ほど前に訪れているのだが、ほとんど記憶がない…。その次の伊比井を出ると山の中へ進み、トンネルにはいる。登りは23パーミルほどあったが、時速65キロぐらい出していた。トンネルを出ると25パーミルの下り。90キロ近い速度が出ていた…。

峠を越えた北郷で少し降りたので、ボックス席に移った。九州の小京都とよばれる飫肥で8分停車だったので、改札の外に出てみた。駅舎は瓦屋根の綺麗な建物で、NHK朝のドラマ小説「わかば」の舞台になったというでかい看板があった。写真を撮り終えて車内に戻ると行き違いの列車がやってきた。キハ31と黄色キハ40。2連繋いでいるとは…。

飫肥・日南・油津と、3駅続けてそこそこ大きい駅。乗客が入れ替わるが、降りていく方が多いので、だんだんすいていった。ここらで日南線2時間半の道のりの中間点になる。油津を出るとまた海沿いに出て、油津港が見える。宮崎の南にある小さな港の割にはコンテナがたくさんおいてあり、意外と大きそう。海水浴場が目の前にある大堂津を過ぎると再び山の中に入っていく。山の中を越えて串間市に入る。ここまでの時点で車内に10数人いたのだが、串間で私以外全員が降りてしまった。昨日のくま川鉄道でも1人になったが、車内が自分だけになるのは変な感じがする。

串間は行き違いの線路が剥がされて棒線駅になっていたが、その次の福島今町でキハ40単行と行き違い。こちらの列車には何人か乗っていたようだ。それにしても市の中心駅で行き違いが出来る方が便利だと思うのだが…。串間までは列車が発車する時に運転士さんが「扉が閉まります」と放送していたのだが、串間を過ぎるとそれがなくなったw。福島今町からまた海の近くを走る。窓の外に顔を出したいところなのだが、このあたりは列車の通るスペースのまわりに木が生い茂っていて、木の枝が列車にバチバチと音を立てて当たっている。だからとても顔は出せない。これほどまで見事な「緑のトンネル」は初めて見た。

志布志の一つ手前、大隅夏井は名前の通り「大隅国」の駅。またまた鹿児島に戻ってきた。この辺りから志布志港が見えてくる。志布志港は東京・大阪や沖縄へのフェリーが出ているので、かなり大きそうな港。そして13時13分、私一人を乗せた列車は終点志布志に到着。

2.志布志→都城

志布志からは西都城へ向かう志布志線、鹿屋・垂水を通って国分へ向かう大隅線があったのだが、どちらも廃止になった。そのためどんづまりの終点駅になっている。中途半端に残すのではなくて、せめて志布志線だけでも残して欲しかったものだ…。このような経緯から、志布志駅はかなり大きな駅だったようだが、現在は昔の駅と違う場所に移転したようで、ホームは1本で、引き込み線が少しあるだけの寂しい駅になっている。

駅を出ると、駅前広場にタクシーが何台か止まっていた。こんなところより駅前のショッピングセンターで待っていた方が客が来ると思うのだが…。ここからバスに乗る予定なのだが、バス停が見あたらない。駅前の道路も交通量が少なく、バスが通っているようには見えない。駅前の道路を右へ進むと家がたくさんあり、駅前道路と交差している道路はかなり交通量が多かった。道路を見渡すとバス停があったので、そちらへ行ってみた。バス停は「大隅交通」の「志布志駅上」乗り場。JTB時刻表には「鹿児島交通」と書いてあるので、これは違うバス停なのかなと思い、また駅に戻った。駅の掲示板を見ていると、駅ノートを管理している「つかちゃん」という人物が、詳しい案内を作ってくれていた。それによれば鹿児島交通は大隅交通と名前を変えたようで、私がさっき行ったバス停でよかったようだ。地元小学生の書道作品に埋もれていたから、さっきは見落とした…。

急いでバス停に向かい、しばらく待つと、13時31分発のバスは何分か遅れて到着した。バスは中型で、路線バスなのに前乗り・前降り。乗降客数が少ないからこんな形でも大丈夫なのだろう。バスは住宅地を通りながら、おおかた旧志布志線沿いに走る。乗降客が少ないのであまりバスが止まることもなく、1時間20分の行程のうちの半分ぐらい寝ていた。起きると曽於市(旧末吉町)の中心街だった。この末吉から都城まで、旧線路跡を歩行者・自転車専用道路とした志布志線ウェルネスロードというものがあった。

午後3時前に西都城駅に到着。駅の中に入ってびっくり。駅構内の雰囲気が国鉄そのもの。国鉄がJRになってからすでに18年、ここまで国鉄独特の雰囲気を漂わせる駅は珍しい。切符売り場には「自動きっぷうりば」の文字。今や自動券売機が当たり前となっているので、この表記は時代を感じさせる。また、「きっぷの買い方」のところには「500円札は使えません」と。だが駅構内には売店がなく、待合室すら閉鎖されていた。駅弁は駅前の店で販売されている。

ホームも国鉄型2面3線。駅名標には志布志線の今市駅を消した跡がくっきり残っている。JR九州は国鉄型駅名標が残っている駅が多い。他社はほとんど全部JRになってから取り替えられているからなあ。西都城は高架駅だが、志布志線分岐線路が引き込み線として残っていた。2面3線の真ん中に入ってきた折り返し、3時6分発の宮崎行き717系2連に乗車。乗る人はほとんどなく、次の都城で下車。都城駅もけっこう大きな駅。だが大して大きくもない都市なのに2つも代表駅があるから、分散している感はある。

都城で食事をしてからまた駅構内へ。地下通路を通って5番線の吉都線吉松行き2931Dの止まっているホームに行った。列車はキハ58・28の2連。キハ58は急行型国鉄気動車の代表選手で、1800両以上が製造された。だが今はほとんどが廃車になり、残った列車も団体専用列車として原形をとどめないほど改造されたものが多い。

九州では若干が残っており、私が乗った車両も九州色をとどめていた。だがこの車両はひどかった。車両の外面の塗装はひびが多数入っており、またひびに外面が剥がれ落ちて中のベニヤ板がむき出しになっている箇所もあった。そして車内も汚い。もうちょっと掃除できないものだろうかと思った。まあ今や優等列車も走らず、通学専用路線と化している吉都線だから、掃除をしたところで高校生が汚すだけなのかもしれないが…。

列車は元・急行用なので、指定席になった時のための座席番号プレートがついている。その表示が「窓側12A 内側12C」といったような表示の仕方になっていた。今は「内側」ではなく「通路側」という言い方をするので、少し違和感。また、車内は一部ロングシート化されているが、そこにもプレートが残っていた。キハ28の方はトイレが道具室と化していた。キハ58も28も製造は昭和40年。かつて九州内を駆け回ったこの車両も、吉都線や日豊本線を終の棲家とするのだろう…。

3.都城→吉松→都城→博多へ

吉都線吉松行き2931Dの発車時刻は3時45分だが、何のアナウンスもないまま2分半ほど遅れて発車した。加速がかなり遅い。北海道のキハ40もたいがいだが、それより遅い気がする。吉都線の景色は田園風景で、時々牛舎・豚舎を見かけた。左手に霧島連峰が見える。全線非電化の吉都線だが、途中の谷頭駅の駅構内だけ架線が張ってあってびっくり。どうやら架線敷設訓練で張られたものらしい。高原町の中心駅である高原駅ではキハ40の単行と行き違い。ここで2分ほど停車した。

思いの外に退屈な景色を眺めること50分、沿線最大の駅、小林駅ではお決まり通り地元の高校生がたくさん乗ってきた。地元の高校生からしたら、私のような人間は変な人扱いなんだろうな…。ここも行き違い駅だが、対向列車はなかった。吉都線は日豊本線を名乗っていた時期もあり、また5年前までは急行も走っていたので、立派な駅・構内の広い駅が多い。だが1日10往復あまりの普通ばかりの運行となっている今では無駄な設備だな…。

えびの駅に列車が入る時、「七つの子」が流れていた。こんな九州の田舎で所謂「着メロ」が流れるというのは異様な気がするのだが、ネットで検索しても出てこなかった。ちょうど5時の到着なので、地元で流れているメロディーを、駅の着メロと勘違いしたのかもしれない。小林でたくさん乗ってきた高校生はえびの市内でぱらぱらと降りていった。

都城から1時間半で終点吉松に到着。吉松は昨日帽子を忘れた駅。急いで跨線橋を渡って駅本屋へ行った。改札のそばに私の帽子がおいてあり、駅員さんに礼を言って帽子を受け取った。旅の相棒と再会を果たし、再び跨線橋を戻る。ここまで乗ってきた列車の反対側の線路には都城行き2932Dが止まっていた。この列車は鹿児島中央からやってきたようだ。5時20分に発車。吉松滞在は5分間だった。

2932Dの編成は行きと同じキハ58とキハ28。キハ28の方は昭和41年製造の文字が見えた。帰りも高校生列車。えびので結構乗ってきた。小林ではキハ47と147の2連とすれ違い。夕暮れで景色が見えにくくなってきたし、それにさっき乗ってきた路線なので、時刻表を見たりして時間を過ごす。定時より1分ほど遅れて6時59分に都城に戻ってきた。都城のホーム案内には「志布志方面」が消された跡が。かつて志布志線があった頃に都城から志布志行きが出ていた名残か。

都城では1時間ほど時間があったので、駅前をぶらつく。そうするとBOOK OFFがあったので、時間をつぶせた。BOOK OFFを出てからも駅前を歩いたが、ホテルが多いのが目に付いた。宮崎と鹿児島の間に位置し、江戸時代も島津藩の自治区(都城島津氏)的存在で、地域の中心都市としての機能を今も持っているのだろう。かつては大阪からの寝台特急彗星が都城止まりだった。

7時半過ぎに駅に戻り、7時40分過ぎにホームに入った。7時52分発の特急きりしま22号で宮崎へ向かう。朝も通った道のりなので、時刻表を見たりメモをつけたりして45分ほどの時間を過ごした。宮崎には1分ほど遅れて8時40分に到着。さきの台風の影響で徐行したためらしい。宮崎駅は最近建て替えたらしく、大きくて綺麗。だが上下線の改札が分離していて、イメージとしては帯広駅を小さくしたような感じか。駅を出て駅前商店街をぶらつくが、居酒屋以外は全部閉まっている。宮崎はプロ野球のキャンプ地となるので、各球団の旗が商店街に出ていた。結局駅の近くにある筑豊ラーメン山小屋(全国チェーン)で食事。ここしか駅前で開いている店がなかった…。

食事後、駅に戻り、コンタクトを外して駅の売店で明太子つぼ漬けなどを買ったりしたが、待合室もなくて非常に過ごしにくい環境なので、10時前の列車で夜行列車の始発駅である隣の南宮崎駅へ行った。南宮崎は宮崎と違って国鉄型の駅。だが駅の売店も閉まっていたので、外に出てみた。すると駅近くの本屋が開いていた。11時閉店らしい。夜遅くまで開いている本屋というのは総じて愛想の悪いものだが、ここの店員さんは愛想が非常に良かった。この店で九州ラーメンの本を立ち読み。久留米ラーメンを食べてみたかったのだが、久留米ラーメンの店が多いのは西鉄久留米駅のあたりで、JR久留米駅の近くは店がなさげだったので断念することにした。閉店直前に店を出た。駅前の薬局も開いていた。駅前を歩いている人もほとんどないのに、よくこんなに遅くまで開いているものだ。夜行列車に乗る人のためなのか…。

駅近くのローソンで酒などを買って駅に戻った。駅に着いたのは11時20分で、夜行列車が出るまで20分あったが、駅に入れた。ここから乗るのは博多行きのドリームにちりん号。車両は787系ハイパーサルーンの5連。車両の真ん中にドアがあり、客室を二分している。そのため1つの客室は普通の列車の半分しかないので、落ち着いた感じになる。自由席も指定席もガラガラで、私の乗っていた客室も、南宮崎発車時点では他に誰も乗っていなかった。

南宮崎を11時40分に出た列車はすぐに宮崎駅に到着。ここで少し乗ってきたが、その次に止まる佐土原・高鍋あたりで降りる人もいた。終電の意味合いがあるのだろう。0時20分頃に止まった日向市駅あたりで寝た。そういえばJRで「○○市」という名前の駅は珍しいな…。日向市以外では和歌山市ぐらいか。

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