このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

京の道 小ネタ集

 
・移動した五条通

平安時代、東西の中心道路であった「○条通」は一条通・二条通間以外は等間隔に作られた。だが地図をよく見ると四条通・五条通間はやたらと開いており、本来2倍の長さがあるはずの五条通・七条通間よりも長い。烏丸通において、三条通・四条通間は500メートル強なのに対し、四条通・五条通間は800メートル以上もある。

本来の五条通は現在の松原通で、現在の五条通は五条通と六条通の中間にある六条坊門小路であった。豊臣秀吉が東山に大仏殿(方広寺)を建てた時、その参拝のために五条大橋を六条坊門小路に付け替えたことから、六条坊門小路が五条通となった。

京阪特急が淀屋橋・出町柳から発車するときに流れる「京の五条の橋の上」の歌にあるように、源 義経と弁慶が五条大橋で出会ったという伝説があるが(これは本当は西洞院松原下ルにある五条天神でのことらしいが)、これは五条大橋ではなく、松原橋が舞台である。

ちなみに現在の六条通はかつて魚の棚通と呼ばれていたらしい。六条通が現存するのは堀川通・河原町通間だが、新町通と烏丸通をはさんで微妙に3段階にずれており、真っ直ぐな道路ではない。この3段階のうち、新町通・烏丸通間の六条通周辺に「東魚屋町」「西魚屋町」という地名があるので、ここが本来魚の棚通だったのだろう。



・住所につけてもらえない川端通

住所を表す時には所在地の最寄の交差点で交わっている2つの道路の名前を元に上ル・下ル・東入・西入をつけるのが基本だが、一部例外がある。
makudo
左の位置を表す場合、本来なら「川端通七条下ル」「川端通七条東入」「川場通七条南東角」などと表すのだが、実際は「七条通鞘町西入」とか「七条大橋東入」と表す(この場所にはマクドナルドがあり、マクドナルドホームページによると「七条通鞘町西入」となっている)。川端通は無視されている。

これには理由がある。元々川端通は三条通より北にしかなく、三条以南は京阪本線の線路だった。昭和62年に京阪電車が地下を走ることになり、線路を撤去して川端通を延伸した。だから川端七条という交差点は昔は存在しなかった。よってマクドナルドは隣の鞘町通を住所にしているのだ。

本来は「川端七条」となるはずの交差点名は「七条大橋」である。これは三条・四条・五条も同じ。従来から川端通があった三条以北では「川端御池」「川端丸太町」など、通りの名前が住所につく。




・四条烏丸?烏丸四条?

交差点名を言う時、どちらの道路を先に言うのかという問題が生じてくるが、四条堀川交差点に「堀川四条」「四条堀川」の2つのプレートがあるように、どちらを先にしてもいいようだ。京都最大の繁華街は四条河原町交差点周辺である。ここを「河原町四条」とは誰も言わないが、「河原町四条 2km」と書かれた交通標識を見たことがある。

京都市バスの停留所において、どちらの道路が先か調べてみた。

 
西















西

















今出川通










丸太町通










二条通










御池通










三条通










四条通










松原通










五条通










七条通










九条通










十条通











●:南北の通り名が先 例:千本今出川
○:東西の通り名が先 例:今出川大宮
−:交差点が存在しないか、別称である場合 例:西大路通と今出川通の交差点→北野白梅町
 
 
・特別な名称の交差点

交差点において、交わっているどちらの道路名もつけない交差点は以下の通り。多くはその交差点の付近にあるものが交差点名になっている(三条通以南の川端通との交差点を除く)。

東西の通り
南北の通り
交差点名前
丸太町通
白川通
天王町
北大路通
東大路通
高野
今出川通
東大路通
百万遍
四条通
東大路通
祇園
七条通
大和大路通
三十三間堂前
近衛通
川端通
荒神橋東詰
九条通
竹田街道
大石橋
塩小路通
烏丸通
京都駅前
九条通
壬生通
京阪国道口
今出川通
七本松通
上七軒
今出川通
西大路通
北野白梅町
仁和寺街道
西大路通
大将軍
丸太町通
西大路通
円町

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