このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
「現地」と研究者の問題について
私は現在、文化人類学(民族学)を専攻している。文化人類学に限らず多くの学問でも同じであるが、文化人類学の場合はとくに現地に長期間出かけてフィールドワークをする場合が多い。したがって、「現地」とのつきあいはとりもなおさず重要になってくるのである。私もまたまもなくフィールドワークに出かける予定であるが、先日の授業の際に討論されたようなことは私もよく留意する必要があると感じている。
文化人類学においても、当初は「現地」に出かけることは少なく、文献研究が中心であった。しかし、文献にはそれを著した人の主観が多かれ少なかれ入っており、偏見に基づいたものも少なくなかった。このような状況を打開するために、20世紀初頭以降の文化人類学は、「現地」に積極的に出かけて、長期間滞在し、「現地」の人たちとラポール(信頼関係)を構築することが重要視されている。実際に、私もフィールドに出かけてはじめて、文献ではわからなかった実情を理解することができたことは多々あった。少なくとも私にとっては研究を進める上で「現地」に出かけることは必要不可欠である。
もちろん、現在の生きている人間を研究対象とする文化人類学者と、過去のことを扱う歴史学者との「現地」とのつきあい方は、多少異なるものであるかもしれない。しかし、近年来、文化人類学者のフィールドワークに対して提起されている批判は、歴史学者や文学研究者、思想研究者などのフィールドワークにも共通する事柄をはらんでいると思われる。
文化人類学は、その出発点において、西洋の植民地主義的な非西洋世界侵略の同伴者であったことは否定できない。実際に、文化人類学者の「現地」の多くは西洋の植民地であり、文化人類学という学問が植民地政策の遂行に役立ってきたことも否定できない。20世紀の半ばになり、植民地の多くが独立するようになると、文化人類学の植民地主義の擁護者としての性格は批判されるようになり、現在ではフィールドワークを行なう際にもさまざまな注意が必要とされている。しかし、現在でも文化人類学に対してはさまざまな批判がなされている。これは文化人類学だけでなく、他の分野のフィールドワークにも共通する点は多いと思うので、いくつか紹介してみたい。
・「現地」に出かければ「現地」のことを本当に理解できるのか?
長期間「現地」に出かけて、「現地」の人と接したことによって、研究者が「現地」の文化をすべて理解し、「現地」の理解者のようにふるまうことに対しての痛烈な批判。たしかに、わずか数年の滞在でどれほど「現地」の本質を理解できるのか疑問はある。ただし、「現地」に生まれ育ったのではないからこそ、かえって「現地」を理解できるのではないか、という意見もある。
・「現地」の人たちは、研究者に調査されることによって、何かメリットを享受できるのか?
研究者に調査することは、調査される側にとっては何かメリットがあるのだろうか。調査者は調査することによって自らの業績が上がるというメリットがあるが、調査される側にとって何もメリットがないのならば、それは調査する側による調査される側への搾取ではないのか、という批判。また、調査される側の人びとが苦しい生活をしているのに、これを少しも改善しようとはしない研究者に対してもこのような批判がなされた。
・「過去」にとらわれて、現在の状況を無視し、誤ったイメージを流布させるのではないか?
実際には近代化された生活を送っているのに、それを軽視して、過去の伝統的な生活を追求し、結果として誤ったイメージを流布している、という批判。たとえば、アイヌ民族に関する文献などを見ても、実際には北海道に住む和人とまったく変わらない生活をしているのに、それを軽視して伝統的な生活ばかりクローズアップして、結果として、「アイヌは現在でも狩猟採集の伝統的な生活を送っている」といった誤ったイメージ(固定観念)を流布させていることが近年、アイヌ民族の側から批判されている。
われわれが研究のために「現地」におもむくことが、「現地」の人にとって何か役に立つのか? これは「現地」に出かけて調査をしようとする人にとってはきわめて重要なことであろう。先日の授業における討論では、「現地」と研究者の問題について活発な討議が交わされたが、残念ながら、「現地」での研究をどう「現地」に還元するのか、という意見はほとんどなかった。しかし、「現地」にとって何もメリットのない研究であるならば、「現地」とうまくつきあっていくことなどできないのではないかと考える。ただ、私個人としては、「現地」に何らかのメリットをもたらす研究ができればベストではあるが、一人の研究者がそれを行なおうとしてもなかなか難しいのではないかと考える。「現地」に行くということは、「現地」の人と生活を共にし、「現地」の人からいろいろと教えていただく、ということであり、フィールド調査というよりも「留学」といったほうがよいものであろう。すべての研究者は、「現地」での経験を自分の業績にするだけでなく、それをいかに「現地」に還元できるかを真剣に考えるべきであり、もしそれができなくても、「現地」の人にいろいろと「教えていただいている」という感謝の念を持つことが必要不可欠ではないかと考えている。
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