北太平洋沿岸地域におけるサケの民俗と儀礼

　サケ類は、毎年定期的に、しかもサケの背中を歩いて川を横切ることができたといわれるほど大量に遡上したので、これらの存在は見過ごされるはずはなかった。サケ類は越冬食糧として重要な意味をもっていた。とくに脂が落ちた産卵後のサケは、保存用食糧として大量に捕獲し、乾燥したり、皮を靴や衣服などに利用したりした。なお、サケ類を食用以外に、皮を靴・衣類・容器に利用したのは、アジア側では、北海道・サハリンの諸民族およびアムール川下流域のニブフとナーナイであり、アメリカ側ではわずかにアラスカ・イヌイトが魚皮製容器に利用するのが見られるのみであり、その他の地域の諸民族では魚皮の利用は見られない。

　北海道アイヌでは、川をのぼるサケを捕り、乾燥・燻製・冷凍保存して日常の食料にしていた。これはサハリン、沿海州などでも同じであったと考えられている[岡田1999b]。

　乾燥したサケは、主に越冬食糧として保存利用された。これらの乾燥加工には天日乾燥と燻煙乾燥があり、北東アジア側では主に室内の炉で乾燥させていた。いっぽう、アメリカ側では専用の燻煙小屋があり、そこで乾燥された[表3]。乾燥保存するには、河川を遡上しはじめる段階のサケは、脂肪が多く、乾燥させると脂肪が酸化して身体的悪影響をおよぼすため不向きで、天日乾燥には産卵を終えて脂肪の含有量が少なくなったサケが主に利用された。このため、動物性脂質を補完するために、北東アジア沿岸の諸民族では、乾燥サケの食事にアザラシ油などをつけて摂取していた[渡部1996]。

　これに対し、燻煙乾燥では、脂質の酸化を防止する効果があるため、体脂肪の豊富なサケ類の乾燥に有効であった。北アメリカで燻煙乾燥が発達している背景には、体脂肪の多いベニザケが豊富なことが要因の一つではないかと考えられている[渡部1997]。

　　北太平洋のサケ類

　ここで、北太平洋にはどのようなサケ類が分布しているのかについて、簡単に説明しよう。北太平洋は現在もっとも魚の総水揚げ量の多い漁場であり、1980年には北西部だけで1877万トンに達している。これに対し大西洋北東部は1177万トンに過ぎない [岡田1999b]。サケ類は水温の関係で北緯40度付近を南限とし、それ以北の太平洋、ベーリング海、オホーツク海、日本海を回遊し、北は北極海まで、南はカリフォルニア西岸、日本海北部、朝鮮半島東部にまで分布している[図2]。北緯40度以北の北太平洋にはサクラマス、カラフトマス、サケ(シロザケ)、ベニザケ、マスノスケ(キングサーモン)、ギンザケ、ニジマスの7種類のサケ類が分布しており、このうちニジマスとマスノスケは分布が限られているため、食糧としての重要性は低い。以下は、北太平洋沿岸の主要なサケ類の分布である。

(1) サクラマス　東アジア固有の種であり、日本列島から朝鮮半島東部、沿海州、サハリン、千島列島、カムチャツカ半島南西部に分布する。

(2) カラフトマス　サケと同様に北緯40度以北のアジア側から北アメリカ西海岸に広く分布する。

(3) サケ(シロザケ)　北太平洋サケ類のなかで最大の分布域を持つ。アジア側では朝鮮半島北部から東シベリアのレナ川にいたる沿岸、アメリカ側ではカリフォルニア州モントレーから北極海沿岸のマッケンジー川までに分布する。

(4) ギンザケ　ロシア極東地域、ベーリング海、アラスカ州からカリフォルニア州の沿岸にかけて分布する。[渡部1996]

　なお、サケといえば、一般的にはシロザケのことをさすが、ベニザケ、ギンザケ、カラフトマスなど他のサケ類も｢サケ｣と総称することもある。本論文でもサケという名称をこれらサケ類の総称として用いている。また、北太平洋地域以外にも、大西洋にもサケ類の分布は見られるが、北太平洋のサケ類は川で産卵後死ぬのに対し、大西洋のサケ類は死ぬことなく、何度も繰り返し川を往復するという習性の違いが見られる[松井1985]。

２．サケをめぐる民族誌

　北太平洋沿岸地域に居住してきた諸民族は、食糧のほとんどをサケ類に依存した生活をしてきた。サケ類には多くの地域で神話や儀礼を伴っており、ここでは北太平洋沿岸地域におけるサケの民俗と儀礼について、民族ごとに考察し、それぞれの民族におけるサケ儀礼の根底に流れる共通性を明らかにする。

　　北アメリカ北西海岸ネイティブにおけるサケの民俗と儀礼

　北アメリカ北西海岸ネイティブは、従来アメリカ北西海岸インディアンと呼ばれ、アラスカからカリフォルニアの間に挟まれた細長い北太平洋沿岸地域に居住してきた、北からトリンギット、ハイダ、ツィムシャン、クワキウトル、ヌートカなどの諸民族を総称したものである[図3]。この北西海岸ネイティブたちは、非常に定住性の高い文化を発達させてきた。これは、毎年大量のサケ類が定期的に川を遡上し、食糧のほとんどをサケ類に依存することが可能だったからである。そして、彼らはサケをめぐる数多くの精緻な儀礼、禁忌、神話を保持してきた。アメリカの女性人類学者アーナ・ガンサー(Erna Gunther)は、北西海岸諸族のサケの神話と儀礼について優れた調査をしている。ここではガンサーの調査[Gunthur1928]を中心に、北西海岸諸族におけるサケの神話と儀礼をみることにしよう。

　北米北西海岸と、その内陸のサケが遡上する範囲内では、初サケを捕獲した際に儀礼が執り行われる。この儀礼の分布は、北は東南アラスカ・スキーナ河畔のツィムシャン族から南は北部中央カリフォルニアの北マイドゥ族まで、東はネヴァダ州ピラミッド・レイクのパヴィオツォ族にいたるまでの、かなりの広範囲にわたっている。ただし、この儀礼の分布範囲は、サケ類の分布範囲ほど広くはない。この儀礼の分布するすべての地域において、サケは人間とみなされており、サケを捕獲する人々の生活と大変似た生活を送っている、と考えられている。また、サケには首長がいて、産卵のために川を遡上するとき、自分の部下を先導して川を遡っていくとされ、最初に捕獲したサケを大切に扱うのは、サケの首長に敬意を表することになるからであると考えられている。

　初サケ儀礼には、多くのタブーがある。とくに穢れにたいするタブーが非常に厳しく、初サケを食べることが出来る人間は、儀礼的に見て清い人間だけであった。したがって、生理中の女性、最近死者と接触したことのある者、子どもを生んだばかりの母とその夫、まだ思春期に達していない少年少女は儀礼から排除された。また、サケが遡上する頃は普通の人でも川の付近で大声で話すことは遠慮した。

　捕獲されたサケの骨は丁寧に扱われた。残った骨や皮、内臓などは、海や川に投げ込まれて処分された。これらは水中で再生し、サケの国へと帰っていくと考えられた。ブリティッシュ・コロンビア州のコースト・セイリッシュには次のような話が伝わっている。

「昔、よき行ないをすることに励む4人の兄弟がスコーミッシュの人々に、サケがのぼってくるようにしてほしいと頼まれ、サケ（の人々）のところへ出発する。彼らは何日も何日も櫂をこぎ進んだ結果、ようやく一つの島の近くへたどり着いた。そこには煙をたなびかせる村があり、兄弟たちを友好的に迎えた。

　村の裏手を流れる川には、人々が仕掛けた簗があった。4人の兄弟とスコーミッシュの人々が上陸するちょっと前に、この村の首長は村内の4人の若者(2人の少年と2人の少女)に命じて、川に入らせ、仕掛けてあった簗に入らせた。この指示に従って、4人の若者は、衣服を脱ぎ捨て、水に飛び込んだ。すると水に入るやいなや彼らの顔はサケになり、遡上期のサケがやるように飛び跳ねながら、簗の中へと入っていった。

　さて、この村を訪れた4人の兄弟たちをもてなすこととなった。サケの首長は、簗に入っているサケを捕ってこさせて、客のためにきれいに焼き上げ料理した。遠来の客を招待し、彼らに向かって次のように語った。『望むだけ食べてよい。しかし、どんな小さな骨も捨ててはならない。注意深くおいて、どんな小さな骨も壊してはならない。』

　スコーミッシュの人々と4人の兄弟たちは、もてなしに喜び、首長の言に従って焼いたサケを食べ始めた。ただ、首長のいった骨をとっておけという言葉の意味がわからなかった。

　食後、サケの若者が客の残した骨を注意深く集め、岸辺に持っていって川に投げ込んだ。すると、先に水に飛び込んだ4人のサケの若者たちが、水の中からあらわれた。

　その後、兄弟はこの村の首長に、今後、飢えているスコーミッシュの村にのぼってくるように頼み、それを首長は受け入れた。ただし、『この村で見たように残った骨をすべて水に投げ戻さなければならない。骨を大切に扱えば、サケの人々は人間の世界を訪れた後に、再び我々のもとに戻ることができる。』とつけ加えた。

　昔々のそのとき以来、スコーミッシュの人々のもとには、たくさんの種類のサケが訪れるようになり、人々はいつも骨を注意深く水の中に戻すようになったという。」[菅1999]

　この逸話は、サケの骨や肉体の一部を水中に流す行為の理由を説明している。このような、骨からの再生という観念は、北方地域の狩猟民社会にほとんど普遍的にみられる考え方である[大林1997]。

　ガンサーによると、ハイダ族とトリンギット族の間では、少女が成年式のあと1年間のうちにサケが川ではねるのを見ると川全体のサケがいなくなるといわれ、成年式後5年間はどの娘もサケを食べさせない習慣があった。また、サケと双子の間にある種の関連があると信じられていた。クワキウトル族などでは同性の双子は前世ではサケだったと考えられ、ツィムシャン族では双子はサケを呼ぶ力があると信じられており、ヌートカ族では双子の父はサケの世界の手先だといわれている。一般にはサケが虐待されると双子が自然に泣くと信じられていた。

　このように、北西海岸ネイティブではサケへの畏敬の念が強く、ガンサーはその根底に二つの概念があると指摘している。一つはサケの不死性であり、もう一つはサケが自分のほうから捕らえてもらうためにやってくるという、サケの自発的意思である。

　さて、この自発的意思という考え方は、北方狩猟民の世界観の非常に大きな特徴のひとつである。アイヌをはじめ、北方の諸民族でほぼ普遍的に見られるクマ送りでも、クマが人間に捕って殺してもらうためにクマの世界からやってくるという考え方である。これは、殺してもらうことは、実はクマの世界に送り返してもらうことだという考え方である。同じようにサケは人間世界を訪問し、その肉を人間が食糧として利用し、肉体を象徴する骨や皮を、サケの世界に送り返すことによって再び生き返らせるという、クマ送りと基本的に共通した考え方を北西海岸ネイティブの初サケ儀礼にもみることができるのである[大林1995]。

　そして、このような北西海岸ネイティブのサケ儀礼の特徴は、後に述べる北海道アイヌと本州東北地方の日本人におけるサケ儀礼にも見いだすことができるのである。

北海道アイヌにおけるサケの民俗と儀礼

アイヌが居住してきた北海道、サハリン南部、千島列島もサケ類の資源が豊富で、サケ類に依存した文化が形成されてきた。したがって、アイヌのコタンの分布は、サケの遡上する河川沿いにあり、その分布とほぼ一致するといわれているほどである[谷川1986]。

　アイヌでは魚のことを例外なしにチェプと呼んでいた。これは「われわれの食べるもの」という意味であり、われわれの主食ということであった。日本人の感覚では、川とは山から発して海に入るものであるが、アイヌではそれとは逆に、川とは海から山に上っていくものと考えていた。これは川が獲物を求めて山へ行く狩人の道であったとともに、主食のひとつであるサケ類が産卵するために遡っていく道だからであった。

　サケは川で捕れる魚類の中でもっとも重要なものであった。このため、サケはカムイ･チェプ(神の魚)などと敬意を持って呼ばれ、ほかの魚類よりも高い価値が認められていた。サケの重要性を示す次のような伝承が北海道の各地に伝えられている。

「昔、なまけ者の娘がいて、母親が水汲みをいいつけると腹をたて、小刀で炉縁に傷をつけて『お前は年中仕事もしないで背中あぶりばかりしていていいな』といいながら手桶をもって外に出ていった。外に出るとこんどは家の柱に手桶を打ちつけて、『お前も柱だから何も仕事をしないで、毎日手をつないで家の回りをまわってばかりいていいな』と悪態をつき、ブリブリいって川に行った。ところがそれきり戻って来ないので、母親が心配して川に行ってみると、川原の砂の上に娘の履物だけがあって、そこにも姿が見えない。そこで母親が川を伝って川下に探しに行くと、赤腹ウグイの群ののぼってくるのに出会った。母親はウグイに娘の行方を知らないかとたずねたが『あの娘はいつも俺たちのことを、骨だらけ骨だらけと悪口をいっていたから、どこへ行ったか知っているけど教えない』といって通りすぎてしまった。仕方なく母親はまた川下に行くと、こんどはイトウの群がのぼって来た。イトウにたずねると『お前たちは私たちをとっても、肉がまずいといって木の枝にひっかけたりして粗末にするから教えない』といった。母親が困っているところにマスの群がやって来たが、これも『お前たちは、俺たちが川に入った頃は大事にするが、少し老魚になると粗末にして投げるから教えてやるもんか』というので、途方にくれた母親は困り果てていると、そこへサケがのぼって来た。サケは『お前たちは私たちを大事にしてカムイ･チェプ(神の魚)といって、骨まで粗末にしないから教えてあげるが、娘は水汲みにいって“お月さんいいな、何もしないで黙っていればいいが、私は家にいると何だかんだって使われてつまんない”といってお月さんを見ていた。それでお月さんがなまけ者のみせしめに、月の中に連れて行ったのだ』といった。それを聞いた母親が泣く泣く月を見ると、手桶をもった娘の姿が月の中に見えた。(2)」[更科･更科1976]　

　この伝承は、サケが他の魚と比べて、いかに大事に扱われたかを物語っている。

　サケ漁を行なう際にも、サケに対する畏敬の態度がみられる。北米北西海岸ネイティブと同じように、初サケは重要な儀礼対象となっており、アシリ・チェプ・ノミ(新しいサケを迎える儀式)が行なわれた。ここではサケ漁における禁忌、儀礼の事例を知里真志保が幌別(現登別市)で行なった調査[知里1973]と犬飼哲夫が白老で行なった調査[犬飼1996]をもとに紹介する。幌別と白老は地理的に接近していることもあり、禁忌、儀礼の事例にも共通性が高い。

　(禁忌の事例)

(1) サケが遡上し始めるころに、川の中にニガキやニワトコを流してはならない。

(2) 月経で汚れた若い女性が川を渡ってはならない。

(3) 川の中で洗濯をしてはならない。

(4) 妻がお産をしたその夫は、子供の臍(へそ)の緒が切れるまで川漁に出てはならない。

(5) サケ漁の期間中、マスを「イチャニウ(3)」といってはならない。

(6) サケの腹の中にイワシなどが入っている場合、食べてはならず、お祈りをしてから捨ててしまう。

(7) サケと他の魚をまぜて煮てはならない。

(儀礼の事例)

(1) 漁期の始まる前になると、村人たちが川尻に集まって、「ペッ・カムイ・ノミ(川・神・まつり)」という儀礼を行ない、豊漁を祈願する。これをすませないうちは、どんなにサケがのぼっても捕ることは出来ない。集落の各戸から男性が一人ずつ集まって、川尻の草原に幣場を設けて、河口の神、浜の神、川の下流の神、川の上流の神、キツネの神に祈る。(4)

(2) 最初に捕れたサケは火の神と家の神にささげるといって、「チェプ・ニマ」という細長い木製の鉢に入れ、上座に頭を炉のほうに向け、初サケを賞味するよう祈りをささげる。このおさがりは一本ずつ串に刺して近所に配り、自分の家には頭と骨だけしか残らない。

(3) 不漁の際には、酒をつくり、木幣を削って神々にささげ、祈願する。この祈願は、かつては皆で集まって盛大に行なったが、後には各戸で簡素にすませるようになった。　　　　　　　　　　

　いっぽう、漁期の終わりを印象づける儀礼、終わりサケ儀礼は、これまで研究者からあまり注意されてこなかったため、北海道内での分布は不明であるが、北海道南西部日高地方の静内と浦河から報告されている[大林1997]。

　アイヌがサケを捕獲するとき、川を遡上する産卵前のサケは、その日に食べる程度しか捕獲せず、必要以上は捕獲しなかった。いっぽう、産卵を終えたサケは大量に捕獲され、天日で乾燥された。ところで、一般的に産卵後のサケは｢ホッチャレ｣と呼ばれ、体力を消耗しているので味がとくに劣り、食用としては不適切である。では、なぜ産卵後のサケばかり大量に捕獲するのであろうか。これは、先ほど触れたとおり、体脂肪の少ないサケのほうが乾燥保存に適していたということが理由としてあげられるが、産卵後のサケは死ぬばかりなので、いくら捕獲しても自然の資源を減らすことにはならなかったためでもあるとも考えられる。

　サケ漁にはマレク(銛)や、テシ(留め)、ウライ(簗)漁など[図4]が行なわれていたが、いずれの場合も最終的にはサケの後頭部をイサパキクニ[写真1]と呼ばれる魚叩棒で殴って殺す。イサパキクニは特別な道具として扱われていて、材料も、アイヌがイナウ(幣)や、イクパスイ(捧酒箆)などに用い、神が用いた神聖な木とされたヤナギが使用された。イサパキクニには装飾が施されており、それはアイヌの儀礼にとって重要視されるイナウと酷似している。このことは、イサパキクニ自体がイナウと同様に神への贈り物としての意味をもっていたといってよい。それは、サケを撲殺する際に「イナウコル、イナウコル(イナウをお持ち、イナウをお持ち)」という言葉を唱えることからも明らかであろう。いっぽう、北西海岸ネイティブでも同様の魚叩棒があり[写真2]、実際的な漁具としての意味だけでなく、呪具的、儀礼的な道具としての意味を付与されている。それには動物や人の像が描かれており、これは霊的な力をもつ絶対神として扱われた。しかし、魚叩棒に付随する儀礼的な要素はアイヌほど多くはないという[菅1999]。

　ところで、これほど特別な扱いを受けているサケであるが、クマのようにそれ自身が神であるわけではない。アイヌでは山で獲れる獲物の代表であるシカが獲物を支配する神の袋に入っているように、サケもまた魚を支配する神や魚をおろす神の握っている袋の中にある。したがって、人間がこの神に対し不敬をはたらくと、神が機嫌をそこね、袋の口は開かれず、人間は飢餓に見舞われることになる。

　そして、サケ自身に対しても失礼な振る舞いは許されなかった。もし、イナウ(削り掛け)で飾ったヤナギやミズキの棒のかわりに腐った枝や石でサケを叩いたりすると、侮辱されたサケは泣きながら神のところへ戻り、神は人間界に魚を送り出すのを拒否してしまう。罪を犯した人間は、自分にかわって魚の神に謝ってください、と多数の神々に謝らなければならない。

　サケは太陽や水や空気のように、当然存在するものと考えられていた。それを粗末にすると神の逆鱗にふれるが、神の機嫌のいいときは、神が海上で袋の中の骨をばらまくと、それがみるみるサケの姿になって川を上っていくと考えていたようである[更科・更科1976]。

　このように、クマがわざわざ人間界を訪ねてくる山の神であるのに対し、サケは結局のところ神によって人間のところに遣わされたものにしかすぎない。しかし、クマ送りのような儀礼はないものの、アイヌは日常的な漁撈活動の中で、先ほど述べたイサパキクニをイナウとしてサケに捧げることによって、サケの魂ははじめて神の国に帰ることができると考えていた。したがって、イサパキクニで撲殺する行為も、クマ送りと基本的に共通した構造を持っていると考えられる。また、初サケ儀礼では、サケの下顎の骨を特別なイナウに縛り付けて川に流したが、これも北西海岸ネイティブと同様、投げ込まれた骨は再生すると考えられていたからであろう。

　このように、サケに対するアイヌの態度は、先ほど述べた北西海岸ネイティブのそれと多くの点できわめて類似している。たとえば生理中の女性のタブー、漁期の前の祈り、初サケの儀礼的な処理、サケはサケの国に帰るという信仰、骨からの再生という観念、魚叩棒の信仰などである。他方、北西海岸ネイティブのところにみられるサケの首長、双子とサケの関係は、アイヌのところにはみられない。ところが、それに似た概念はむしろ、本州北部の日本人のところに見出されるのである。

　本州北部の日本人におけるサケの民俗と儀礼

　本州の北部においても、サケをめぐる信仰や儀礼はたいへん盛んである。現在では、サケは太平洋側が茨城県以北、日本海側が鳥取県以北に分布している。サケを祭る神社も各地にあり、福岡県嘉穂郡嘉穂町の鮭神社や千葉県香取郡山田町の山倉大神などが有名である。

　東日本には、「サケの大助(おおすけ)・小助(こすけ)」譚が各地に伝わっている[図5]。

これは、サケの王とか主とかが、毎年決まった日に川を遡上するという話で、山形県を中心に日本海側に広く分布している。そのなかのいくつかを紹介しよう[大林1997、野口1998、野村1981]。

・旧暦10月20日夜にサケノオオスケというものが、川を上り、その姿を見たものは急死するといわれている。　

(山形県西村山郡西川町)　[野口1998]

・旧暦11月15日の晩にサケの王様が「サケの大助、今通る」と唱えながら最上川を上り、その声を聞いたものは3日以内に死ぬのだという。　(山形県西村山郡大江町左沢）　[同上]

・旧暦11月15日夜にはサケの王、サケの大助が「サケの大助今下る」と言いながら川を下り、この声の聞くと、この土地は不漁になり、いろいろの災いが起きる。漁夫たちは川原に小屋を立て、薪を燃やして酒を飲んで大声で歌をうたって、声を聞かないようにした。この夜に限って女たちも小屋に招かれ、酒と輪切りの酒を振舞われた。巨大なサケがサケの大群を率いて川を下って海に入るとされ、人々がそれを見るのはタブーとされる。　(山形県最上郡真室川町)　[野村1981]

・旧暦11月15日夜は、川魚の王様であるサケの大助が一族を率いて川を上る。この日は川の仕事は一切休みにして、川端に出てはならない。大助が上るとき「サケの大助今上る」と叫び、この声を聞いた人は3日と生きられない。このため、川端の村々では太鼓を叩き、大声で歌をうたって、その声を聞かないようにした。　(山形県新庄市)　[野口1998]

・旧暦11月15日の晩にサケの親分である大助・小助が大小何万ものサケを率いて川を上り、「大助小助、今上る」と宣言する。この声を聞くと、その場で死んでしまう。そこで人々は餅をついて大騒ぎをし、家にこもってサケの声を聞かないようにした。　

(山形県庄内地方)　[同上]

・旧暦11月15日は昔からサケ漁を休むことになっていた。ある長者が若い主にこの日にサケを捕らえるよう命じたが、若い衆は怖がったので、長者一人でサケを捕らえにいった。長者がうたた寝をしてふと目を覚ますと、目の前に年老いたお婆さんとお爺さんが立っており、長者が「おまえだなんだ」と尋ねると、「おらだ信濃川のサケなんだ。今日、おらだの姿見で悪りな見ですまたな」という。すると長者は動かなくなってしまい、次の日に死んでしまったという。

(山形県西村山郡朝日町)　[同上]　

・信濃川の河口、現在の新潟市沼垂に昔、王瀬長者という金持ちがいた。信濃川の主は大助と小助と呼ばれるサケの夫婦であった。土地の漁夫たちはこの夫婦を恐れて、この夫婦が川を上る旧暦11月15日には漁をしなかった。しかし貪欲な長者は、この日もサケを捕ろうとした。その前夜、大助は白髪の老人の姿となって長者の夢に現れ、許しを乞うた。しかし、それに構わず長者は翌朝サケを捕らえようとした。しかし、サケの夫婦を捕らえることはできず、彼らの呪いによって王瀬長者はのちに没落した。(5)　(新潟県新潟市沼垂(ぬったり))　[大林1997]

　サケの大助が川を上ったり、下ったりする時期は、地域によって異なるものの、おおむね旧暦10月20日と旧暦11月15日に二分される傾向がある。大林太良氏はこのことについて、元来は初サケ儀礼と終わりサケ儀礼の日だった可能性があると解釈している[大林1996]。山形県庄内地方では、大助・小助が上るのは、サケ漁最後の日の11月15日であり、北西海岸ネイティブやアイヌにおけるサケの儀礼は初サケ儀礼が中心であるのに対して、サケの大助は大体において初サケの時期ではなく、むしろ本格的な漁期の終わりを印象づける儀礼として行なわれた[大林1983]。

　サケのサケの大助が川を上ったり、あるいは下ったりするとき、「大助、小助今上る」とか「今下る」と宣言し、これを聞くと死んでしまうというので、大騒ぎをしてサケの声を聞かないようにするという話は、各地に分布している。場所によっては餅をつくりそれで耳を塞ぐという、いわゆる耳塞ぎ餅を行なうところもある。耳塞ぎ餅とは、日本で伝統的に行なわれている習俗であり、同齢者とくに親しい友達の死を聞いたときに二枚の餅で両耳を塞ぐ。このようにして悪いニュースを聞かなかったふりをし、わが身に災いの及ぶのを避けようとした。それと同じことを、サケの大助にも行なうのである。このことは、谷川健一氏が指摘するように、東北日本の人々は、他の種類の魚には認めていないほとんど人間的な性格を、サケに認めていたということである[大林1997、谷川1986]。さらにそれから進んで、先祖がサケであったとする伝説が岩手県竹駒に伝わっている。竹駒のある美しい少女が、鷲にさらわれて川の淵に落とされた。水中から一人の老人が現れ、彼が彼女を家に連れていった。彼はサケが変装したものであった。少女はこの老人と結婚し、この二人の子孫は決してサケを食べない、というものである[大林1997]。

　サケの大助は、『精進魚類物語』という、16世紀に書かれた中世文学にも現れている。この話は源平の争いを、魚と野菜の争いにパロディ化したもので、このなかで魚の軍の最高司令官は、越後国の住人サケの大介（ママ）鰭長(ひれなが)である[石井1901]。この話は当時の北日本の民間伝承を背景に書かれたもので、サケの大助が単にサケの王であるばかりでなく、魚類全般の最高指導者として書かれているということは、サケが魚の中でも特権的な地位を占めていたことを示唆するものである[大林1997]。

　こんにち、サケの大助・小助の伝承は、青森県から新潟県までの主として日本海側を中心に限られた範囲内に分布している。しかし、その他の地域でも、一対のサケが神社に巡礼するという形式の伝承が広く分布しており、ときには自発的にわが身を供えるといっている地域もある。この巡礼譚は、秋田県、能登半島、島根県、千葉県などから報告されている。大林太良氏はこれらをサケの大助・小助が仏教や神道の影響で変容したものであり、サケの主としてではなく信心深い巡礼者となっている、と述べている[大林1997]。

　ところで、本州北部のサケ儀礼にも、北西海岸ネイティブやアイヌの場合と類似した観念をわずかながらであるが認めることができる。そのひとつが、川へ肉体を流すという行為である。山形県庄内地方では、漁期の初めに捕れたサケを、売り子が細かく切って各家を持って回り、オセンニンサマという信仰対象へのご喜捨を集め、このサケの切り身は売り払うことなく、最終的に川に流された。この行為は、北西海岸ネイティブやアイヌと同じくサケの肉体の一部を川に流すことによって再生させるという意味をもった儀礼として位置づけることが可能である[菅1999]。また、サケの主という観念や大助・小助という名称は、北西海岸ネイティブのサケの首長、サケと双子との関係を想起させる。

　本州北部でも、アイヌと同様に魚叩棒でサケを一匹ずつ撲殺する[写真3]が、北西海岸ネイティブやアイヌで特徴的であった儀礼的な要素はみられず、実用的な側面が多い。しかし、観念的な側面がないわけではなく、たとえば山形県小国ではエビス棒とよばれ、それ自体がエビス神の神体となっている[写真4]。また、多くの地域でサケを撲殺する際に「このエビス」「オエビスサマ」などとエビス神の名を唱える[小野寺1998、中田1999]。このエビス神という神は「この世」と「あの世」、「内」と「外」、「こちら」と「かなた」、「人間の世界」と「神々の世界」との橋渡しをする「媒介者」「媒介物」としての性格を有する神であり[波平1978]、このエビス神の性格に着目すれば、サケの世界と人間界という二分法的な世界観に基づいて、サケの魂をサケの世界に送り返すという意味を見出すことも可能である。北西海岸ネイティブやアイヌの魚叩棒に再生儀礼としての意味が付与されていたように、本州北部の魚叩棒にも初源的にはその意味が付与されていたのではないかと考えられる[渡部1999b]。日本では、日本文化で育まれたエビス信仰や仏教が、サケをめぐる信仰に大きな影響を与え、独自の発展を促してきた。とくに修験道がサケをめぐる信仰に与えた影響は大きい[菅1999]。しかし、その基盤にわずかながらであるが、北方文化の要素を見出すことができるのである。

　その他の地域―サハリン、アムールランドなど

　これまで述べてきたように、北米北西海岸ネイティブ、北海道アイヌ、本州北部の日本人は、サケに関するさまざまな信仰や儀礼を発達させてきた。ところが、その他の北太平洋地域においては、アイヌなどに見られるような、明確なサケ類に対する信仰や儀礼はほとんど見られない[渡部1997]。

　サハリン・アイヌでも、北海道アイヌと同じく魚叩棒に関する信仰が見られる。また、5月はじめに豊漁を祈って共同の儀礼を行なう。儀礼を行なう当日と翌日は、村人は他の村々の住民とは接触しようとせず、漁撈、狩猟、さらに洗濯物を干すことも禁じて、ひたすら神がこの熱心な祈りに応じてくれるよう期待する[知里・山本・大貫1979]。しかし、この儀礼は海の恵み全体に対する豊漁祈願であり、サケのみを対象としたものではない。

　サハリン・アイヌ以外のサハリン、アムールランドの先住民族でも、初サケ儀礼や終わりサケ儀礼は存在しない。しかし、漁期の初めと終わりを印象づける儀礼は行なわれ、それはサケのためだけでなく、すべての魚のために行なわれている。サハリン、アムールランドの先住民でも生活をサケ・マス類のような回帰性のある魚の遡上に依存しており、エヴェン、ネギダール、ナーナイ、ウリチ、ウデヘ、オロチ、ニブフ、ユカギール、チュクチ、イテリメンといった東シベリア諸民族の大部分がサケを捕獲している。

　アムールランドでは、漁期は川の氷が溶ける5月から川が凍結する10月または11月に及ぶ。ニブフとウリチでは川の氷が動くときに春の儀礼が、川がすっかり凍結する晩秋にも儀礼が行なわれる。どちらの場合も川の氷に穴をあけて、サケの尾ひれやその他の珍味を川に投げ込む。これは水界の王にご馳走をするためである[大林1997]。しかし、これらの儀礼も海や川の主に対する豊漁儀礼であって、サケを対象にしたものではない。

　いっぽう、魚叩棒自体は、カムチャツカやアムール流域にも知られており、とくにニブフのそれはアイヌや北西海岸ネイティブの魚叩棒とおなじく再生儀礼としての意味をもっていたとされる[渡部1999b]。このように、ニブフに北海道アイヌとやや共通する要素が認められるものの、北海道アイヌのサケ類をめぐる儀礼や精神世界は、北東アジアでは特異な位置をしめているといえる。

　３．サケ儀礼の起源と発展

　ここまで北太平洋沿岸地域におけるサケをめぐる精神文化を、民族ごとにみてきた。では、このようなサケをめぐる民俗や儀礼はどのようにして生まれたのだろうか。ここではサケ利用とサケに関する信仰の歴史を、時代を追ってみてみることにする。

　　サケ類利用の起源　

　サケ類がいつ頃から利用されたかについて、日本では東京都前田耕地遺跡で草創期縄文時代の住居内からサケ類の歯が発見され、1万2000年前にはすでに河川でサケを捕獲し食べていたことが明らかになっている[岡田1999b]。アメリカ側では、ブリティッシュ・コロンビア州ファイブマイル・ラピッド遺跡からB.C.7800年ごろのサケの骨が大量に出土している[松井1985]。

　秋田県矢島郡や雄勝(おがち)郡などでは鮭石と呼ばれる、サケらしい魚が線刻された石が発見されている。この石はおそらく縄文時代に遡るものであり、先史時代のサケ祭祀の痕跡を求める考古学者の注意を引きつけた。さらに岩手県から出土した4000年前の中期縄文土器にも同様の形式でサ

ケらしい一匹の魚が描かれているのが発見されている[大林1997]。このことは、縄文時代にはすでにサケが重要視されていたということであり、本州北部におけるサケに関する精神文化が、縄文時代にまで遡って考える必要性があることを示していると考えられる。

　縄文時代およびそれ以後の時代も、サケは河川の上・中流域で捕獲されていたと考えられている。これは、サケの骨が海岸部の貝塚ではあまり発見されず、むしろ上・中流域で大量に発見されている点から明らかである。近年注目されている青森県三内丸山遺跡でも、サケは主要な食料とはなっていなかった。国立歴史民俗博物館の佐原眞氏は、海岸や湖沼地帯の貝塚はサケの消費地、河川の上・中流はサケの漁撈、保存用の加工場だった可能性があることを指摘している[佐原1987]。

　北海道では、函館市函館空港遺跡(縄文時代早期)でサケ類の骨が見つかったのが最も古い[松井1985、表4]。北海道の場合、本州と異なり、本州で縄文時代が終わり弥生時代を迎えても弥生化せず、1～7世紀ごろまでが続縄文文化期、7～13世紀ごろまでが擦文(さつもん)文化期という様に区分され、この間4世紀から13世紀にかけてオホーツク海沿岸にオホーツク文化とよばれる海獣狩猟・漁撈文化が栄えた。いわゆるアイヌ文化は、擦文文化が終わった13～14世紀ごろに成立したものと考えられている[佐々木1999]。北海道でもサケの骨の出土は、縄文、続縄文、オホーツク、擦文の各文化期を通じて河川流域が主体で、海岸部ではほとんど発見されていない。このため、考古学的証拠からも、サケは主として河川流域で捕獲されていたものと考えられている[岡田1999b]。このほか、カムチャツカ、サハリン、沿海州などでもサケ類の骨が発見されている。

　北太平洋沿岸の漁撈民のなかで、沿岸でもサケ漁を行なうのは北米北西海岸ネイティブだけである。しかし、彼らが沿岸でサケ漁を行なうようになったのはきわめて新しく、アラスカ半島で1500年前、東南アラスカでは700年前とされている[岡田1999b]。これは、海岸部の貝塚でこれより古い年代のサケの骨が発見されることはほとんどなかったためである。いっぽう、河川流域ではかなり古い年代からサケ類の骨が見つかっており、このことから河川でのサケ漁自体はかなり以前から行なわれていたようである。岡田淳子氏は、サケが河口付近で捕獲できるようになったことについて、梁や堰を大掛かりにつくる技術が発達したことをあげている。また、大河川ならば脂肪をたっぷりつけたまま川を遡上するが、小河川では川に入ったサケは味が落ちてしまい、小河川付近の住民はおそらく好んで海で捕獲するようになったのではないか、と述べている[岡田1999b]。

　サケの民俗と儀礼の起源

　次に、サケに関する精神文化はいつごろから発生したのであろうか。北西海岸ネイティブにおけるサケの儀礼が、いつごろから成立したかについては、それを示す出土遺物が少ないこともあり、明らかではない。アイヌについても、アイヌ文化が成立したとされる13世紀から14世紀頃から近世にいたるまで記録や遺物に乏しく、いつごろからサケの儀礼的な取り扱いが成立していたかは不明である。いっぽう、本州北部の日本人の場合は、サケの大助の伝承が16世紀の中世文学『精進魚類物語』に現れるとおり、遅くともこの時期には成立していたことが明らかである。しかし、サケの大助の伝承は、前述のとおり、その基盤に北方文化の影響を認めることができるものの、日本で育まれた仏教・神道や耳塞ぎ餅などの習俗が新たにつけ加えられて独自の展開、変容をみてきたと考えられている[菅1999]。したがって、サケの大助の伝承が成立する以前に、すでに何らかの形でサケに関する精神文化があったことは明らかである。東北地方でよく知られた縄文時代の鮭石は、サケの儀礼的な取り扱いがこの時期まで遡れる可能性を示唆している。

　本州北部の日本人におけるサケ儀礼にも、その基盤に北西海岸ネイティブやアイヌと共通する北方的な要素があることはこれまで述べてきたとおり明らかである。しかし、この共通性は3つの地域の交流による文化の伝播として簡単に位置づけるべきではないだろう。サケの捕れる地域に共通した基層信仰的な世界観が存在していた可能性も考えられる。また、文化に対するサケという動物の規定力が共通していたのではないか、という見方もある[菅1999]。北西海岸ネイティブの場合も、アイヌの場合も、たとえサケに関する精神文化の基盤に共通性があっても、それが成立した当初から全く変わらなかったわけではなく、それぞれの文化のなかで独自の発展をしてきたと考えられる。したがって、安易な比較は行なうべきではない。

　いっぽうで、近年の科学技術の進歩によって、現代のアイヌと縄文人のDNA配列が一致したことが明らかとなっている[NHK1999]。これにより、アイヌの起源が縄文人にあることが明らかとなり、従来唱えられてきた、アイヌ＝白人説やアイヌ＝南方系説はもはや完全に否定されたといってよい。また、縄文土器と現代のアイヌ文様の関連性も指摘されている[河野1996]。したがって、本州北部の日本人とアイヌが、縄文時代という共通の土台から、それぞれのサケに関する精神文化を発達させていき、そこから現在の相違点が生まれたという可能性は十分にあるだろう。

　近代化と伝統的サケ儀礼の変容

　これまでサケ類がいつから利用され始めたか、精神文化の成立はいつごろか、について考察してきたが、ここからは白人や和人が進出してから、北西海岸ネイティブやアイヌのサケ儀礼はどのような変容を遂げたのか、について見ていくことにする。なお、ここでいう和人とは、北海道に進出した日本人のことであり、本論文では、これまでに見てきた本州北部の日本人と混同しないために、便宜的に使い分けることにしている。

　ブリティッシュ・コロンビア州にはじめてヨーロッパ人が到達したのは1578年であるが、イギリス直轄領となったのは1858年であり、ヨーロッパ人入植の歴史は大陸東部に比べるときわめて浅い。ヨーロッパからの移民が始まると、北西海岸ネイティブの伝統的サケ漁をとりまく状況にも徐々に変化が見られるようになった。1850年代にはトンプソン川で金が発見され、ヨーロッパから毛皮を求めてくる人々による影響もあった。しかし、この地域のサケ漁にもっとも大きな影響を及ぼしたのは、19世紀後半にはじまったサケの缶詰生産であった。サケの缶詰生産がその規模を広げていくにつれて、しだいに先住民がサケを捕っていた地域のサケ資源が減少するようになった。さらに1871年にブリティッシュ・コロンビア州がカナダ連邦に加盟し、サケ漁の管理がカナダ政府の手に委ねられるようになると、カナダの漁業全体に対する法的規制が始まり、1888年にはその規制が先住民のサケ漁にも及び、流し網とヤスの使用が禁止された。1894年には先住民のサケ漁にのみ許可制度が強制され、1910年にはそれが本格的に実施されるようになり、先住民族のサケ漁に関する規制はこのころから段階的に厳しくなっていった。缶詰産業を基盤としたサケ漁はブリティッシュ・コロンビア州の基幹産業となっていった反面、先住民のサケ漁はサケ資源管理を目的に禁止されるところもあった。このサケ漁の禁止は、明らかに缶詰生産工場に有利に働いたことはいうまでもない。1927年になると、あらゆる先住民族の権利が否定され、それに関わる運動資金を募ることすら禁止された。このような中で1930年代以降、先住民族の間に権利回復を求める運動が強まりを見せていった[岩崎1999]。

　アラスカでは最初にロシア人が移住し、18世紀後半から19世紀前半にかけて先住民族は土地を奪われ、伝染病に健康を害されたが、ロシア人は毛皮、穀物、野菜などを求め、サケなどの水産物にはあまり興味を示さなかったため、先住民族の漁撈は同じように続けられた。アラスカでの漁撈に変化が現れたのは1867年にアメリカ領となってからで、19世紀後半からサケ類の商業漁業が急速に広がった[岡田1999b]。

　北海道ではどうか。北海道のアイヌ社会に和人が侵入してきたのは、14世紀のことで、道南では本州製の陶磁器、金属器などが数多く発見されるようになり、干しサケ、昆布などが交易品としての価値を高めた。中世後期から近世にかけて多くのサケが本州に売られたが、17世紀前半の商場知行地制(6)の成立期までは商場が道南地域に限定されていたため、アイヌの意思によってサケ類の捕獲が行なわれていたといってよい。商場知行地制は18世紀半ばになると交易権を商人に委託する場所請負制に移行し、商業資本の導入による漁場経営が強化され、アイヌ社会は漁場経営に組み込まれていった。場所請負制は和人が主体になって行ない、アイヌは主に雇用労働者としてサケ・ニシンの捕獲に従事した。このようななかで、商人の恣意的な利潤追求は、アイヌの酷使などを引き起こし、しばしば反乱などが起きた。ただし場所請負制でも、ある程度は伝統的なアイヌの漁業権は認められていた[斎藤・渡部1999]。

　江戸時代の対アイヌ政策は、大概的に見ると、一時期を除いて分離政策であった。したがって、アイヌの習慣や従前の権利については、ある程度は容認されていたようである[百瀬1993]。しかし、明治時代に入るとアイヌのサケ漁は法的な規制を受けるようになる。明治初期に資源保護の目的で河川でのサケ漁が大きく制限され、多くの河川で密漁取締りが行なわれるようになった。このサケ漁の禁止も、カナダの場合と同様に、より経済的な利益を上げ得る和人の利益を優先させる意図があったものと考えられる。アイヌの河川でのサケ漁を規制する一方で、沿岸定置網による捕獲は年々増加し、河川での漁獲は激減した。現在残されているサケ漁に関する民族誌の多くは、このような時代に行なわれてきた非合法のサケ漁であり、アイヌの伝統的なサケ漁文化は明治中期以後大きな打撃を受けた[斎藤・渡部1999]。1899年には「北海道旧土人保護法」が制定され、アイヌは狩猟民族から農耕民族への転換を余儀なくされるようになった。

　サケ文化復権への道程

　カナダで先住民族の権利を巡る議論が起こり始めたのは、1982年のカナダ憲法の制定であった。このカナダ憲法には先住民族の権利が明記された。さらに同時期にアメリカでワシントン州、アイダホ州、オレゴン州、カリフォルニア州北部におけるサケの50%は先住民族の権利であり、先住民族はその権利を守るために漁業管理を政府と共同で行なうとする内容の判決が下され、ブリティッシュ・コロンビア州でもこれに触発されてカナダ政府に対し同様の政策を求める動きが強まっていった。1990年、カナダ最高裁判所は、先住民のサケ漁の規制において、サケ漁が先住民にとって食糧としてまた社会・文化的、儀礼的に必要であることを尊重する判決を下し、さらに先住民の漁業権は資源保護に次いで大切であることを明らかにした。これにより、北西海岸ネイティブによるサケ漁は新たな時代を迎え、現在では、多くの先住民がサケを捕獲して日用の食糧としているほか、サケ資源の管理や保護を積極的に行なっている[岩崎1999]。

　また、近年ではサケ漁業が伸び悩んでいるため、アラスカ州ケチカンのようにサケと先住民文化を観光の柱にしているところもでてきている[斎藤1999]。

　いっぽう、アイヌのサケ漁も明治以降禁止されていたが、アイヌのサケ儀礼が完全に失われてしまったわけではない。サケ漁は密漁という形で細々と続けられ、サケに関する精神文化もそのなかで細々と継承されてきた。戦後になると、先住民族の権利の回復を求める動きが強まり、その一環として1982年、「カムバック・サーモン運動」で知られる札幌の豊平川で約100年ぶりに初サケ儀礼「アシリ・チェプ・ノミ」(新しいサケを迎える儀式)が行なわれ、その後、同様の儀礼の復活は千歳市、白老町など全道各地に広がり、アイヌ文化伝承事業の一環として行なわれている。しかし、伝統文化の復活という側面が商業主義に変化してしまったという批判も近年出ている[野本1999]。

　1997年、これまでの「北海道旧土人保護法」が廃止され、そのかわりに「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律(アイヌ新法)」が成立した。国内に複数民族の並存を確認、その文化を尊重する法律は日本では例を見ないものであり、伝統文化の発展とアイヌ語の振興もうたわれている。しかし、この法律が施行されても、伝統文化の継承という名目を除いて、アイヌが個人的にサケを捕ることが許可されたわけではなく、今後アイヌの漁業権の復権が望まれるところである。

　本州でも、近代化にともない、サケ漁にも大きな変化が出るようになった。しかし、サケに関する伝統文化は比較的よく残されており、福岡県嘉穂町や千葉県山田町のサケをまつる神社では、伝統的な祭礼が毎年行なわれている。新潟県村上市のように、サケを観光の目玉に据えている街もある。

４．考察と結論

　これまで北太平洋沿岸地域におけるサケの民俗と儀礼について、民族ごと、時代ごとにみてきた。最後にこのようなサケに関する精神文化はなぜ生まれたのか、地域や民族による相違はなぜ生まれたのかについて検証することにしたい。

　先史時代にサケ類が中心的な食糧となっていたという「サケ・マス論」は、現代に残るサケをめぐる民族誌を見ても、もはや否定することは困難になりつつある。事実、サケ類の出土遺物も徐々に発見されつつある。

　北アメリカ北西海岸ネイティブやアイヌが、定住的な生活をするのも、毎年定期的に大量に川を遡上するサケに食糧のほとんどを頼ることができたからである。資源が薄く、サケ類の遡上に多くを期待できない極北地域の諸民族では、食糧を求めて移動生活をするのが基本であり、ここでは定期的に遡上するサケ類が、まさに人々の生活を規定するほどに重要な存在なのであった。このような状況のもとでは、サケ類の不漁は、そのまま民族の存亡の危機につながる。サケ類に対する畏敬の念は、こうした状況が必然的に生み出したものだと思われる。　

　サケに関する精神文化の特徴は、サケ類の生態を適確に知り尽くしたところにある。また、そこには資源保護のメカニズムを見出すことができる。狩猟採集民にとって、資源の保護はきわめて重要であり、死活問題であった。例えば、アイヌなどで産卵前のサケは必要以上には捕らず、産卵後のサケを大量に捕るのも、単に脂肪分が少ないので保存用に向いているからだけでなく、産卵後のサケは死ぬだけなので大量に捕獲しても自然の資源を減らすことにはつながらない、というサケの習性を知っていたからであろう。サケに対する畏敬の念、人間との同一視、禁忌や儀礼なども、消極的生産として、資源の保護に役立っていたことは否定できないであろう。

　北海道であっても地域によってはサケ類の遡上があまり見られず、ニシンやシシャモなどが中心になっていたところもある。それらの地域では、サケはそれほど重要視されてはいない[犬飼1941]。このことから、サケに関する儀礼の成立は、生活食糧としてのサケ類への依存度の高さで説明できるものと思われる。しかし、問題はサケ儀礼の分布が、サケ類が生活上きわめて重要な地域よりも狭い地域、アメリカで北緯40度から55度まで、アジア側で北緯37度から45度までの間に分布していることである。サケ儀礼はこの地域で行なわれ、これより北のサケ分布地域ではサケのために特に行なわれる儀礼の欠如した地域である。これはなぜなのであろうか。明確な回答はまだ出されてはいないが、このことについて大林太良氏は、この欠如地域では特定の種類の魚の到来よりも、土地の河川の凍結や解凍が最も大事だと考えている、と解釈している[大林1997]。

　北西海岸ネイティブと本州北部の日本人に共通するサケの首長の観念はアイヌのところに見出すことはできないが、この理由としては、北西海岸と本州北部におけるサケ漁撈の組織や社会的成層の発達があげられている。北西海岸ネイティブでは狩猟採集民族でありながら、高い人口密度と複雑に階層分化した社会組織をつくりあげており、奴隷も存在していたことが明らかになっている[松井1985]。また、捕獲組織が初サケ儀礼を担当し、その儀式においては捕獲組織の長が指導的な役割を演じていた。そこではまさに成層社会の出現がサケ儀礼の組織化を進めたのである。本州北部の日本人のところでも同様の過程を想定してよいであろう。しかし、北海道アイヌではより個人的な方法でサケが捕られており、社会的成層も北西海岸ネイティブや本州北部の日本人のところよりも明瞭ではなかったのである。

　これまで述べてきたように、本州北部の日本人も含めた北太平洋沿岸の諸民族は、サケに生活の多くを依存し、地域によってはサケに対する精緻な精神文化を発達させてきた。そのほとんどが、歴史の経緯の中で変容してしまった現代でも、残された資料からその基盤に北方地域共通の世界観や資源保護のメカニズムを見出すことができる。ことに本州北部のサケ儀礼にも、北方文化の影響を認めることができることは、今後の研究を進めていく上で非常に興味深い問題である。

　ここであげたような北方諸民族のサケ類に関するさまざまな精神文化は現在では廃れてしまったものが多く、それらは古い文献に頼る以外にない。しかし、現代の考え方ではおよそ非合理であり、迷信にみえる考えかたであっても、限りある資源の保護に役立っていたことは否定できないだろう。北方の諸民族はサケに限らず、多くの動植物の生態環境を、非合理的、超自然的な俗信、禁忌、神話などによって維持してきた。しかし、現代の多くの人々はかつての北方諸民族のような自然保護のメカニズムを失ってしまった。その結果として、世界規模での自然破壊や資源の枯渇が深刻化している。資源が限りないものではないと多くの人々が気付きつつある今日こそ、北方諸民族の資源保護のメカニズムを再評価する必要性があるのではないだろうか。

あとがきにかえて　～二風谷、2000年初秋～

　今年(2000年)の9月、日高アイヌのふるさととして知られている北海道南西部の沙流郡平取町二風谷を訪れた。このときはいろいろな経験をして、実に楽しい旅になったので、あとがきにかえて、このときの模様をここで紹介したいと思う。

　すでに筆者は二風谷を二度訪れているので、今度はいつもとは違う行き方をしようと思い、占冠からバスで日高町を経由して二風谷へ行くことにした。当日はかなりの雨。肌寒いくらいである。日高町で乗り換えたバスは、私以外に地元の客が一人乗っていたが、途中からは完全な貸し切りバスとなった。二風谷までそれだけであった。

　午後5時少し前に二風谷に到着した。今晩は資料館前バス停前にある宿泊費無料のライダーハウスに泊めてもらった。その日の夜はちょうど二風谷の夏祭りのあった日で、私も地元の人に誘われて、地元の人の中に溶け込んで、楽しい時間を過ごした。きわめて短期間の滞在ではあったが、地元の人々に大変親切にしていただいて、また何度でもここに来ようと思った。

　次の日は、3度目であるが、二風谷の2つの資料館を見学し、午後のバスで帰ろうとしたら、二風谷で知り合ったKさんが駅まで送ってあげるというので、その言葉に甘えることにした。車内で「サケのことを卒論で書いている」といったら、Kさんは「ひょっとしたらもうサケが上ってきているかも知れないから、沙流川の河口を見せてあげよう」といった。

　沙流川の河口近くにかかる橋の上に車を止め、川を覗いてみたが、さすがに9月15日ではまだ早くてサケの遡上は見られなかった。しかし、もう少し後になれば沙流川をサケが大群をなして上るのが見られるのだという。たしかに、河口近い沙流川の川面は、近いサケの到来を今か今かと待ち受けているかのように、おだやかであった。

　Kさんは「もっと後になってサケが上ったらまた密漁する」といった。そう、「アイヌ新法」が成立したとはいっても、アイヌがかつて主食にしてきたサケを個人的な目的で捕獲することが認められたわけではなく、捕獲すれば密漁ということになってしまうのは変わらないのだ。

　かつてアイヌが自由にとることのできたサケは、明治以後捕獲することが禁止され、アイヌは密漁せざるを得ないこととなった。カナダでも前述のとおり、最近まで先住民族のサケ漁は禁止されていたが、現在は先住民族の権利として認められている。

　しかしながら、たとえサケ漁が解禁されたとしても、二風谷までサケが遡上すること自体がなかなかできない現状がある。その理由は、二風谷にダムができたからである。また、沙流川など多くのサケ遡上河川では、河口近くに設けられた大きな簗でサケを一網打尽に捕獲するので、それより上流にサケが遡上することが難しくなっている。

　これに対して、欧米などではサケの遡上の障害になってきたダムを撤去する動きが顕著になってきている。これまで見てきたように、日本のアイヌ対策はカナダなどに比べて大きな落差があることは否定できない事実であるが、環境対策という点でも大きな落差があるといわざるをえない。したがって、アイヌ対策でさらに充実した対策を講じることは当然のことであるが、アイヌをはじめ北方の諸民族の世界観をもっと見直し、参考にした上での環境対策ももっと推進すべきであろう。

　今回の二風谷訪問の際も、前回も前々回の時もいちばん私が心配したのは、和人に対するアイヌの感情はどうなのだろうか、ということであった。とくに私は、アイヌ差別問題についてさまざまな本を読んでいただけに、その点がいっそう心配なのであった。実際には、二風谷で私はアイヌの人とまったく違いは感じなかったし、祭りの場でも地元の人と一緒に踊ったりして、誰が和人で誰がアイヌであるかの区別はまったく感じなかったし、そんなことはどうでもよいことのように思われた。

　しかし、これは私が一旅行者として二風谷に行ったからなのかもしれない。もしこれが、研究者がアイヌを調査するために滞在するのだとすれば、アイヌの接し方もおのずと違ったものとなるかもしれない。

　実際、ライダーハウスのノートにはいろいろな旅行者の書き込みがあったが、そのなかに道南の瀬棚アイヌの書き込みがあり、そこには研究者への怒り、｢私にはあなたがたの苦しみが理解できる｣という和人への怒りなどが長々と書き込まれてあったのである。

　調査者と被調査者をめぐる問題は、これまでにも何度も問題となってきたのでここであげる気はないが、やはり研究成果を被調査者に還元することができなければ、いくら良心的な学者であっても被調査者は納得することはできないのである。このことは多くの学者が肝に銘じておかねばならないことである筈であろう。

　最後に、アイヌ出身の言語学者、民族学者の知里真志保が60年以上前に書いた文章から引用して終わりとしたい。この文章は知里真志保がまだ学生時代に書かれたものであるが、60年以上を経た現在においてもなお､われわれを自省させるに足る説得力をもった文章である。

「……世には、学問の為には凡ゆるものを犠牲にしてもよいといふ封建的な考へ方が横行してゐる。そこにどれだけ多くの悲劇が隠されてゐることであらう?学者の心なき筆に傷つけられても、大多数の者は弱き者の常として泣寝入りに終らなければならぬ。果してこれでよいのであらうか!

　思ふに学問の価値は絶対ではない。それは社会との関係に於て、又人類に幸福を齎す限りに於て、相対的な価値を有するのである。従つて他人の心を傷つけつゝ達する学問は無価値である。それは悪魔の学問に他ならぬ。真の学問は、同情すべきには同情して涙を流す底の暖い血の通つたものでなければならない。」

　　　　(知里真志保「ウェンベ・ブリ?」『旅と伝説』7-12:1934 )

(1) この小山氏の意見に対して、0.09人という密度はアフリカ・カラハリ砂漠のブッシュマンに近く、およそ受け入れられない数値であるという筑波大学の西田正規氏の反論がある。

　　　　　西田氏は東日本におけるサケ・マス類に対し、西日本でのコイ類とくにアユの重要性を指摘しており、西日本における縄文遺跡の少ない点については近畿地方の縄文遺跡が沖積地、扇状地に立地しその上を土砂が厚く覆っているために発見が遅れていると主張している。

　　　　しかし、今日までの西日本の調査状況を見る限り、今後の調査の進展によって西日本とくに近畿地方で急激に遺跡が発見されるとは考えにくい[佐原1987、山浦1987]。

(2) なお、月の中に水桶を持った少女がいるというモチーフは、北欧から東アジアまでの北方ユーラシアに広く分布していることを石田英一郎氏が指摘している[石田1956]。

(3) アイヌはマスのことを普段「イチャニウ」とよぶが、これは「産卵穴を掘る人」の意味である。産卵穴を掘るという点では、サケもまた同じであるが、サケ漁の期間中マスに対してのみ「産卵穴を掘る人」とよぶと、サケに対して憚りがあるためにマスのことを「イチャニウ」とは呼ばず、「サキペ(夏･魚)」と呼ぶのだという[知里1973]。

(4) この際、まず河口の神に向かって、「秋になりました。どうかサケがたくさん川を上り、たくさん取れますように」という。浜の神には「どうか天候にご注意ください。海と川が争うと、海が荒れ、サケが上るのに邪魔になりますから」という。

　　　川の下流と上流の神には「神の魚が上っていきます。どうか大群をなしてあがっていきますように。私たちは川をきれいにし、不潔なものを入れないよう気をつけます」と祈る。最後にキツネの神に「どうか山海の珍味をたくさんお授けください。遡る神の魚をお守りください。もしも不漁だったならば、あなたは神々の中で顔をつぶすことになりますよ」と祈った。

　　　　なお、サケ儀礼においてキツネの神が重要なのは、北海道南西部に限られた、地方的な特徴であったとされている[大林1997]。

(5) この伝説には､サケ夫婦が一匹のサケになっており､このサケが15日の夜､長者に悪行の御礼に来たという異伝もある[大林1997]。

(6) 松前藩は海産物を中心とした蝦夷地の産物交易により藩財政を支えており､家臣への俸給も交易拠点である一定の商場を与える商場知行地制によってなされていたが、この制度はしだいに運上金で商人に委託する場所請負制に移行していった。

　1956 『桃太郎の母　比較民族学的論集』法政大学出版局 pp.1-40.

　1941 「シシャモカムイノミ」『北方文化研究報告』5:89-102.

　1965 「釧路アイヌのテシ漁」『北方文化研究報告』20:109-118.

　1970 「鮭漁」アイヌ文化保存対策協議会編『アイヌ民族誌』第一法規出版 pp.342-356.

1996 「アイヌの鮭漁に於ける祭事」谷川健一編『日本民俗文化史料集成19』三一書房 pp.13-21.

　1999 「カナダ北西海岸先住民族によるサケ漁の歴史的変遷」『第12回北方民族文化シンポジウム報告』pp.29-35.

　1987 『日本民衆の歴史　地域編8　アイヌの歴史　北海道の人びと(2)』三省堂

　1983 「漁民の生業と民俗」大林太良編『日本民俗文化体系5　山民と海人』小学館 pp.425-433.

1997 「北太平洋地域の神話と儀礼における鮭」『北の人文化と宗教』第一書房 pp.141-160.

　1999b「北太平洋の先住民社会とサケ」『第12回北方民族文化シンポジウム報告』pp.1-10.

1998 「東北地方の鮭叩棒とアイヌのイサパキクニについて」『東北民俗学研究』6:11-19.

1993 『サハリン・アムール民族誌』桝本哲訳　法政大学出版局

　1984 「縄文時代の人口」日本人類学会編『人類学――その多様な発展』日経サイエンス社

　1999 「観光とサケと先住民文化」『神の魚･サケ―北方民族と日本―』(財)北方文化振興協会 pp.39-42.

　2000 「アラスカ観光に挑むトーテムポールの人びと」『季刊北方圏』111:12-16.

　1999 「アイヌ社会とサケ」『第12回北方民族文化シンポジウム報告』pp.37-44.

　1999 「彼らはどこからやって来たのか？」『芸術新潮』50-7(特集：北の民族アイヌに学ぼう):18-21.

1976 『コタン生物記Ⅱ 野獣･海獣･魚族篇』法政大学出版局

1992 「サケをめぐる宗教的世界」『国立歴史民俗博物館研究報告』40:

1993 「竪穴ノ遺風今尚各地ニ存セルカ」『国立歴史民俗博物館研究報告』48:241-275.

1999 「サケをめぐる精神文化の日本的様相」『第12回北方民族文化シンポジウム報告』pp.45-54.

　1978 「水死体をエビス神として祀る信仰：その意味と解釈」『民族学研究』42

　1999 「現代に生きるアイヌのサケ利用文化」『第12回北方民族文化シンポジウム報告』pp.77-80.

1999 『アイヌの暮らしと伝承』小松哲郎訳　北海道出版企画センター

1995 『アイヌ、神々と生きる人々』小学館(小学館ライブラリー)

1995 『Northern Peoples 北方民族を知るためのガイド』(財)北方文化振興協会

　2000 『トーテムポールとサケの人びと』(財)北方文化振興協会

1985 「『サケ・マス論』の評価と今後の展望」『考古学研究』31-4:39-67.

　1987 「縄文時代の漁撈活動」大林太良編『日本の古代8 海人の伝統』中央公論社 pp.87-126.

　1977 「アイヌの生態系」渡辺仁編『人類学講座12』雄山閣出版 pp.387-405.

1988 「北太平洋沿岸文化圏―狩猟採集民からの視点Ⅰ」『国立民族学博物館研究報告』13-2:297-356.

　1967　｢日本石器時代文化研究における『サケ・マス論』の問題点｣『古代文化』17-2:82-87.

　1994 「北東アジアにおける海獣狩猟(Ⅰ)」『北海道立北方民族博物館研究紀要』3:61-82.

1995 「北東アジアにおける海獣狩猟(Ⅱ)」『北海道立北方民族博物館研究紀要』4:65-86.

1996 「北東アジア沿岸におけるサケ漁(Ⅰ)」『北海道立北方民族博物館研究紀要』5:85-102.

　1997 「北東アジア沿岸におけるサケ漁(Ⅱ)」『北海道立北方民族博物館研究紀要』6:199-216.

　1999a「コリヤーク民族誌と今後のコリヤーク文化研究」『北海道立北方民族博物館研究紀要』7:51-67.

1999b「北方民族とサケ」『神の魚･サケ―北方民族と日本―』 (財)北方文化振興協会 pp.5-12.

1928 A further analysis of the first salmon ceremony, in: University of Washington Publications in Anthropology 2:129-173.

1999 Salmon Run Volatility, Subsistence, and the Development of North Pacific Societies, in: The Proceedings of the 12th International Abashiri Symposium 11-28.

1993 Tangled Webs of History: Indians and the Law in Canada’s Pacific Coast Fisheries.

1965 Der Lachs in der Vorstellungswelt der Indianer des westlichen Nordamerika, in: Jahbush des Museums für Vörkerkunde zu Leipzig, 21:23-71.

1999 The Salmon People of Alert Bay, in: The Proceedings of the 12th International Abashiri Symposium 71-76.