 | 旧制松本高校跡地 旧制松本高等学校跡地が、今は「あがたの森公園」になっている。ここはその入り口。旧制松本高等学校は大正8年の創立、戦後の学制改革で信州大学文理学部となり、校舎は昭和48年3月まで使用された。 |
旧制松本高校本館 この本館とその前に建つ講堂は、旧制高等学校の木造洋風建築としては、規模も大きく保存状態も良好で「長野県宝」に指定されている。現在二つの建物は「あがたの森文化会館」として使用されている。 |  |
 | 旧制高等学校記念館 昭和56年開設の「旧制松本高等学校記念館」が狭隘になり、かつ木造校舎を利用してのものだったので防災上の必要から、平成5年に耐火構造の「旧制高等学校記念館」として生まれ変わったもの。旧制高等学校関係の資料を全国から集め展示しているのは、ここだけだという。玄関を入るとすぐにこのマント姿の旧制高等学校生の像に迎えられる。像は洞沢今朝夫作。 |
旧制高校出身の文学者たち 3階の「芸文の華」のコーナーには、右の写真の梶井基次郎(一高)をはじめ、川端康成(一高)、堀辰雄(同)、中野重治(四高)、井上靖(同)、太宰治(弘前高)、武田泰淳(浦和高)、檀 一雄(福岡高)、近藤芳美(広島高)、三島由紀夫(学習院)などの資料や写真が掲示されている。 |  |
 | 旧制松本高の文学者 唐木順三、臼井吉見、北 杜夫、辻 邦雄などは知っていたが、中島健蔵や熊井 啓(映画監督)がここの出身とは知らなかった。原稿や書簡、学制当時の試験答案などのユニークな展示もある。 |
若き日の久保田正文 久保田正文は私の恩師の一人で、先生が信州飯田ご出身のことはよく知っていたが、松本高出身とは知らなかった。少年時代の写真を眼にするのも初めてだ。解説には「飯田中から松高に入学する。革新的な気風の南信出身者らしく、松高では改革派の生徒として、文芸部また講演部で活躍…」と記してある。この恩師もこの春他界された。葬儀の時には、著名の人々に混じって、あまり知られていないサークルや団体から多くの弔電が届いた。その中に信州からのものもたくさんあった。 |  |
 | どくとるマンボウ青春記 旧制松高で一番よく知られているのは北 壮夫だろう。彼は終戦の年の入学で、授業が本当に始まったのは九月半ばだった。山と蝶が好きで松本に来たという北 壮夫は、よく山に登り蝶を追いかけ、卓球部では主将を務めた。学業の方はあまりパッとしたものではなかったらしく、「珍答案」が二枚も展示されていた。ビデオコーナーには熊井 啓などと思い出を語る場面もあるが、やや不自由な発音と白髪の中に、いたましいほどの学生時代との落差を感じながら見終えた。誰でも歳とるのだ。「青春」はごく短いからこそ尊いのだ。いうまでもないことだが——。 |
旧制松本高等学校の校舎 中庭の植え込みなどがきれいに刈り込まれていて、大事に保存されているようだった。形にはならない歴史や精神、その他もろもろを伝えることにも、この記念館は意欲的だ。三年前に刊行した『旧制高等学校の青春』には、全国から集めた膨大な資料・写真が収められている。 |  |
 | 松本高等学校跡の碑 「われらの青春ここにありき」と特大の文字で彫られている。松本高の同窓会が昭和42年に建てたもの。あがたの森公園の一郭にある。 |