 | 最上川 翌日は朝から小雪が舞っていた。これは黒滝橋から上流を眺めたもの。大石田町は前方左手にあたる。 |
最上川 これは黒滝橋から下流の眺め。芭蕉ゆかりの向川寺はこの左手。茂吉がこの地で暮らした頃は橋はなく、渡船だった。 |  |
 | 向川寺 寺はこの森の上にあるのだが、無住のこの寺は閉まったままで、雪道もついていなかった。大きな標柱が雪の上に顔を出していた。「芭蕉翁参詣の地 黒滝」まで読めたが、あとは雪の中。「黒滝」の下に「向川寺」と文字は続くのであろう。 |
最上川の流れ 向川寺から左岸をたどって大橋に向かった。このあたりはかなり流れも速かった。依然として小雪が舞い続けていた。茂吉の「最上川逆白波のたつまでに ふぶくゆふべとなりにけるかも」を実感できる景だった。 |  |
 | 大橋 前日も訪れた大橋を、この日は反対側から渡った。たまたま2月18日だったが、後で北杜夫の『茂吉晩年』を読んで、昭和22年のこの日の茂吉日記に、「午後四人ニテ散歩、大吹雪トナリ、橋上行キガタイ様子トナッタ、最上川逆流」とあることを知った。この体験から「最上川逆白波の…」の絶唱が生まれた、と北杜夫が書いている。北杜夫もこの頃父のもとに来ていて、この日の最上川の吹雪を見ている。 |
西光寺 この寺の境内には、明和6年(1769)の頃、土地の俳人の建てた芭蕉句碑があるのだが、この碑も雪の下で見ることはできなかった。 |  |
 | 板垣家 茂吉の大石田在住を、生活万般にわたって世話をした板垣家子夫(かねお)の家が健在だ。彼も既にこの世に無いが、彼のおおらかな人柄、誠実で行き届いた世話ぶりも、北杜夫の『茂吉晩年』は生きいきと伝えている。 |