 | 茂吉胸像 齋藤茂吉記念館は、茂吉十三回忌を記念して昭和43年に開館、その20年後の平成元年に大幅な増・改築がなされた。明治天皇が東北巡幸の際に立ち寄られたことから「みゆき公園」と名付けられた丘の上に建っている。 |
茂吉記念館入り口 開館間もない頃に訪れて以来の訪問者には、茂吉胸像やこの入り口には見覚えがあったが、館内は建物も拡充、展示室も内容も一新していた。書画・原稿などを編年体で展示した常設展示も充実していたし、特別展「茂吉、日々の生活(遺品あれこれ)」は見ごたえがあった。齋藤茂吉の生涯を手短に知ることのできる映像室も便利だ。 |  |
 | 茂吉歌碑 茂吉は生前自分の歌碑を許したのは、蔵王山頂の一基だけだった。昭和40年代にこの地を訪れた時も、まだごくわずかだった気がするが、今回はその歌碑の多さに驚いた。この茂吉記念館横に建つ歌碑は、有名な「ゆふされば大根の葉にふるしぐれ いたく寂しく降りにけるかも」が刻まれている。この先の明治天皇「小休所」を復元した環翠亭の所にも、茂吉歌碑「蔵王山その全けきを 大君は明治十四年あふぎたまひき」がある。 |
茂吉の勉強部屋 昭和14年、箱根の山荘内に建てた茂吉の書斎を移築保存している。木造瓦葺平屋建てで、食堂兼客室の4畳半、書斎・寝室の六畳など、8坪ほどの書斎である。茂吉はこれを「勉強部屋」と名付け、昭和15年から19年、疎開から帰京後の23年から25年までの通算8年の夏をこの書斎で過ごし、『作歌四十年』などを完成させた、と案内板に記してある。 |  |
 | 茂吉歌碑 移築された「勉強部屋」と記念館を挟んだ右手の広場にも、いくつか碑がある。これは茂吉の、「あしびきのやまこがらしのゆく寒さ 鴉のこゑはいよよ遠しも」の歌碑。茂吉は鴉を好み、鴉を詠んだ歌も多い。 |
伊藤左千夫歌碑 茂吉が師事した伊藤左千夫の碑もある。刻まれた歌は、「わかやとの軒の高葦霜かれて くもりにたてり葉の音もせず」。上の茂吉歌碑、下の赤彦歌碑と同じ昭和57年5月13日の建立。 |  |
 | 島木赤彦歌碑 茂吉を見守るように、茂吉の歌碑に向き合って、師の左千夫歌碑も友人の赤彦歌碑も建っている。赤彦の歌は、「わが庭の柿の葉硬くなりにけり 土用の風の吹く音聞けは」。赤彦の柿好きは有名。 |
茂吉記念館前駅 JR奥羽本線にこの駅ができて便利になった。と言っても、無人駅のこの駅に停まる列車は少ないのだが——。前方の木立の丘に齋藤茂吉記念館がある。 |  |