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あはれ 秋風よ 情(こころ)あらば伝えてよ 夕餉(ゆふげ)にひとり さんまを食らひて 思ひにふけると ——佐藤春夫『秋刀魚の歌』 |
JR紀伊勝浦駅前の「秋刀魚の歌」の碑。背後の蘇鉄がいかにも南国らしい。
秋刀魚(さんま)の季節になると、決まったようにこの詩が頭に浮かぶ。 |
この詩の背景に、谷崎潤一郎の妻千代への思いが秘められていたことはよく知られている。谷崎の推薦で出世作「田園の憂鬱」などを発表(一九一八年)し始めた春夫は、谷崎との親交を深め、同棲していた女性と別れた時(一九二〇年)には、小田原の谷崎宅に一時滞在したほどだった。当時谷崎は他の女性に夢中で、家庭を顧みなかった。春夫の千代への同情は恋愛感情へと深まった。 |
「秋刀魚の歌」第二連は、「あはれ/人に捨てられんとする人妻と/妻にそむかれたる男と食卓にむかへば/愛うすき父を持ちし女の児は/小さき箸をあやつりなやみ…」と、「かの一ときの団欒(まどゐ)」を思って涙する孤独な男を、まるで物語の一場面のようにうたった。 |
いろいろあった後、ようやく春夫と千代が一緒になれたのは、一九三五年のことだった。千代は潤一郎と離別して春夫と結婚、双方交際は従前どおり…という三人連名の挨拶(あいさつ)状が関係者に送られ、「細君譲渡事件」として話題を呼んだ。 |
「秋刀魚の歌」の碑は、JR紀伊勝浦駅前に建てられている。背後の蘇鉄がいかにも南国風だった。この那智勝浦町は、春夫の愛惜した佐藤家の屋敷「懸(けん)泉(せん)堂」のあった所だ。 |
春夫の詩はいろいろ採られてきたが、「秋刀魚の歌」が採られたのは、現行の日本書籍「現代文」が最初だ。素材の季節感と庶民性、秋風に託しての「大人の恋」の切実さ、ほろ苦い詠嘆と自己批評、後の世代にも伝えていきたい珠玉の一編だと思う。 |
「月刊国語教育」 2000年9月号
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