このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

八橋——在原寺・業平塚


在原寺山門  無量寿寺から在原寺に回った。歩いて10分ほどなのだが、何度も尋ねてたどり着いた。平日の昼下がり、道をきこうにも人が外にいないのだ。在原寺山門
本堂在原寺本堂  臨済宗妙心寺派。在原業平の菩提を弔うために建立された、と伝えられている。寺宝として在原業平立像がある。本堂前の右手に植えられているのは「業平の竹」、左に植えられているのは、やはり業平ゆかりの「ひとむらすヽき」。
義玄句碑  尾張藩士の子として生まれた兼子義玄は、嘉永5年(1822)在原寺に入寺、仏門に仕えるかたわら俳諧をたしなんだ。義玄の俳風を慕って多くの門人が集まった、と市教育委員会の案内板にある。句碑の句は

   いつも聞く 家ははや寝て 遠砧
義玄句碑
山頭火句碑山頭火句碑  昭和14年(1939)、山頭火がこの地を訪れた時に詠んだという三句が刻まれている。三河知多山頭火の会の手で、昭和63年11月に建立。

  刻まれている句は
 
    むかし男ありけりという松が青く
    はこべ花さく旅のある日のすなほにも
    枯草にかすかな風がある旅で
                         業平塚にて 山頭火
八橋伝説地の碑  在原寺から10分ほど歩くと、名鉄八橋線の線路沿いにこの碑がある。県指定文化財(名勝)。
 ここ三河国八橋は、古東海道に沿う景勝の地としても知られ、特に『古今集』と『伊勢物語』の在原業平東下りの故事、「からころも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもふ」と歌われた「かきつばた」の歌により、一段と名声を高めた——と、案内板に記されている。
八橋伝説地の碑
在原業平墓所の碑在原業平墓所の碑  「八橋伝説地」の碑から、公園風の中に入って行くと、奥の高台になったところに、この碑が見えてくる(右手奥)。左手に業平の塚がある。
業平供養塔  宝筺印塔、高さは約1メートル。市指定文化財。
 「在原寺縁起」では寛平年間(889〜897)に業平の骨を分け、この地に塚を築いたとされている。しかしこの供養塔はそれより後、鎌倉末期頃に業平を偲び建立されたものと考えられる——、と市教委の案内板に記されている。
在原業平供養塔
根上がりの松根上がりの松  旧鎌倉街道に、「八橋伝説地」の碑に隣接して(名鉄八橋線の線路を挟んで)、この松がある。安東広重の浮世絵『東海道名所図会』中に描かれている松に当たると思われ、したがって、少なくとも江戸時代後期には既にこの地に存在していたと考えられる——、と市教委が案内板に記している。
逢妻川  「八橋伝説地」碑のすぐ近くに、「くもでに流る」と歌枕にも詠まれた逢妻川が流れている。この一帯も、県指定文化財(名勝)の準指定地域になっているという。
 無量寿寺のあたりは高台で、『伊勢物語』の「水ゆく川の蜘蛛手なれば、橋を八つ渡せるによりてなむ、八橋といひける。その沢のほとりの木の陰に下りゐて、乾飯食ひけり」、の風情には遠かったが、このあたりなら、さもありなん、という気がしてくる。
逢妻川

トップへ

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください