| このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
1
『平家物語—大原御幸』
![]() |
| 寂光院の参道.。山門奥に工事中の青いシートが見える。 |
| 大原は実に久しぶりだった。昭和40年代に訪れて以来だから30数年ぶりということになる。寂光院も三千院も、山門を入れば記憶もいくらかよみがえったが、周囲の風景や途中の道にはほとんど記憶がない。こんなに遠かったかと思うほど、どちらの寺も歩きでがあった。 寂光院は平家滅亡の後、平清盛の娘、建礼門院徳子(高倉帝の妃、安徳天皇の母)が余生を過ごした所で、後白河法皇がここを訪れた「大原御幸」で有名な寺だ。寂光院の山門をくぐったら、正面に工事用の大きな青いシートが目に飛び込んできた。この寺の本堂が放火による火災で焼失したというニュースを思い出した。平成12年5月9日の未明のことだったという。たまたま風がなかったので、本堂が焼けただけで済んだというが、訪れたのは3月半ば、境内には数日前に降ったという雪が少し残っていた。この日は小雨で、寺の案内役の女性は、ときたま訪れる一人二人の参拝客に、その都度丁寧な説明をしてくれた。本堂は焼けたが、『平家物語』にも出てくる老松や池、「みぎわの桜」などは残っていた。しかし、その樹齢千年といわれる大きな松も黒焦げの部分を残し、痛々しい感じだった。 寂光院下の茶店で一休みしたが、そこで建礼門院西陵と阿波内侍の墓を教えてもらって訪ねた。西陵はすぐそばだったが、阿波内侍の墓は川沿いの道をかなり上った森の中にあった。阿波内侍は建礼門院に最後までお仕えした人である。苔むした小さな墓の前に立って、木々の枝を揺らす風の音を聞いていた。 |
![]() |
| j寂光院境内。手前はひめ小松、前方は山門。 |
![]() |
| 焼失した本堂の模型。シートの背後は工事中の本堂。 |
![]() |
| 汀の池。鐘楼の前の柵の中に「汀の桜」の朽ち株がある。 右手は姫小松。幹に火災の跡を残している。 |
![]() |
| 建礼門院西陵 |
![]() |
| 阿波内侍の墓(右端) |
| このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |