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太宰治——『雀こ』


岩木山
春の遅い津軽平野。遠くに岩木山(2000・4・24撮影)
『雀こ』が教科書に
 太宰治は今や教科書でも人気抜群の作家だが、昭和30年代当時は、『走れメロス』が高校教科書の1冊に載ったに過ぎなかった。それが、昭和40年代以降は、『富嶽百景』『畜犬談』『竹青』などを各社が競って載せるようになり、以後、いくつかの作品が採られたり消えたりして、今では『走れメロス』を中学教科書のすべてが採録、高校では『富嶽百景』『清貧譚』『津軽』『猿ヶ島』『ロマネスク』『待つ』『』水仙『雪の夜の話』などが採られている。そこに来年度から、新たに『雀こ』が加わることになった(教育出版『現代文』)。これまで教科書に採られたことはないが、全編津軽方言で書かれたこの珍しい作品は、新鮮な魅力と刺激に満ちていて、好教材の資格を十分備えているように思う。
『雀こ』の物語
 早春の津軽の原っぱで子供たちが「雀こ遊び」に興じている。一方の組が「雀、雀、雀こ、欲うし」と歌うと、もう一方が「どの雀、欲うし?」と応じ、歌の掛け合いの後で、一人また一人ともらわれ、最後に一人残る。今度は残った一人がもらう側になって、「雀こ、欲うし」を歌う……そういう遊びである。好かれる順にもらわれて、最後に一人残るところがシビアで、語り手(作者)自身「うたて遊び」と作中で評しているほどだ。この日、マロサマは二度も売れ残ったあげく、売れっ子のタキからひどい仕打ちを受けて泣きながら帰り、子供たちは何事もなかったように、それぞれの家で婆さまからいつもの「長え長え昔噺」を聞く……『雀こ』はそんな物語だ。※このぺージの一番最後に全文掲載します。お時間のある方はどうぞ。
『雀こ』朗読
 近年、「声に出して読む」ということが盛んに言われるようになった。声に出して読む、ということで言えば、『雀こ』はそれに最もふさわしい作品と言えるだろう。『雀こ』は、音楽的だといわれる津軽方言で書かれている。目で読むという普通の読み方をしてさも、活字の背後から津軽訛りが聞こえてくるような作品なのである。六月十九日の三鷹禅林寺での「桜桃忌」で、長きにわたって『雀こ』朗読がなされてきたというが、さもありなんと思う。その朗読者の人選にあたって、井伏鱒二は純粋な津軽弁で読む人をと強く主張し、壇一雄は殊の外『雀こ』の朗読を好み、ある年都合で朗読を休んだ小野才八郎が世話人の会に顔を出したら、自宅まで連れて行って朗読させたという(「『雀こ』朗読三十年」 、『太宰治語録』所収)。
太宰治生家(金木町 太宰治記念館)
     雀こ     太宰治
       井伏鱒二へ。津軽の言葉で。

  長え長え昔噺(むがしこ)、知らへがな。
  山の中に橡(とち)の木いっぽんあったずおん。
  そのてっぺんさ、からす一羽来てとまったずおん。
  からすあ、があて啼(な)けば、橡の実あ、一つぼたんて落づるずおん。
  また、からすあ、があて啼けば、橡の実あ、一つぼたんて落づるずおん。
  また、からすあ、があて啼けば、橡の実あ、一つぼたんて落づるずおん。
  …………………………

 ひとかたまりの童児(わらわ)、広(ふろ)い野はらに火三昧(ひざんまい)して遊びふけっていたずおん。春になればし、雪こ溶け、ふろいふろい雪の原のあちこちゆ、ふろ野の黄はだの色の芝生こさ青い新芽の萌えいで来るはで、おらの国のわらわ、黄はだの色の古し芝生こさ火をつけ、そればさ野火と申して遊ぶのだおん。そした案配(あんばい)こ、おたがい野火をし距(へだ)て、わらわ、ふた組にわかれていたずおん。かたかたの五六人、声をしそろえて歌ったずおん。
 ——雀、雀、雀こ、欲(ほ)うし。
 ほかの方図(ほず)のわらわ、それさ応(こた)え、
 ——どの雀、欲うし?
 て歌ったとせえ。
 そこでもってし、雀こ欲うして歌った方図のわらわ、打ち寄り、もめたずおん。
 ——誰をし貰ればええべがな?
 ——はにやすのヒサこと貰れば、どうだべ?
 ——鼻たれて、きたなきも。
 ——タキだば、ええねし。
 ——女くされ、おかしじゃよ。
 ——タキは、ええべせえ。
 ——そうだべがな。
 そうした案配こ、とうとうタキこと貰るようにきまったずおん。
 ——右(みぎ)りのはずれの雀こ欲うし。
 て、歌ったもんだずおん。
 タキの方図では、心根っこわるくかかったとせえ。
 ——羽こ、ねえはで呉れらえね。
 ——羽こ呉れるはで飛んで来い。
 こちで歌ったどもし、向うの方図で調子ばあわれに、また歌ったずおん。
 ——杉の木、火事で行かえない。
 したどもし、こちの方図では、やたら欲しくて歌ったとせえ。
 ——その火事よけて飛んで来い。
 向うの方図では、雀こ一羽はなしてよこしたずおん。タキは雀こ、ふたかたの腕こと翼みんたに拡げ、ぱお、ぱお、ぱお、て羽ばたきの音をし口でしゃべりしゃべりて、野火の焔よけて飛んで来たとせえ。
 これ、おらの国の、わらわの遊びごとだおん。こうして一羽一羽と雀こ貰るんだどもし、おしめに一羽のこれば、その雀こ、こんど歌わねばなんねのだおん。
 ——雀、雀、雀こ欲うし。
 とっくと分別しねでもわかることだどもし、これや、うたて遊びごとだまさね。一ばん先に欲しがられた雀こ、大幅(おおはば)こけるどもし、おしめの一羽は泣いても泣いても足(た)えへんでば。
 いつでもタキは、一ばん先に欲しがられるのだずおん。いつでもマロサマは、おしめにのこされるのだずおん。
 タキ、よろずよやの一人あねこで、うって勢よく育ったのだずおん。誰にかても負けたことねんだとせえ。冬、どした恐ろしない雪の日でも、くるめんば被(かぶ)らねで、千成(せんなり)の林檎(りんご)こよりも赤え頬ぺたこ吹きさらし、どこさでも行けたのだずおん。マロサマ、たかまどのお寺の坊主(ぼんず)こで、からだつきこ細くてかそぺないはでし、みんなみんな、やしめていたのだずおん。
 さきほどよりし、マロサマ、着物ばはだけて、歌っていたずおん。
 ——雀、雀、雀こ欲うし。雀、雀、雀こ欲うし。
 不憫(ふびん)げらに、これで二度も、売えのこりになっていたのだずおん。
 ——どの雀、欲うし?
 ——なかの雀こ欲うし。
 タキこと欲しがるのだずおん。なかの雀このタキ、野火の黄色え黄色え焔ごしに、悪だまなくこでマロサマば睨(にら)めたずおん。
 マロサマ、おっとらとした声こで、また歌ったずおん。
 ——なかの雀こ欲うし。
 タキは、わらわさ、なにやらし、こちょこちょと言うつけたずおん。わらわ、それ聞き、にくらにくらて笑い笑い、歌ったのだずおん。
 ——羽こ、ねえはで呉れらえね。
 ——羽こ呉れるはで飛んで来い。
 ——杉の木、火事で行かえない。
 ——その火事よけて飛んで来い。
 マロサマは、タキのぱおぱおて飛んで来るのば、とっけらとして待づていたずおん。したどもし、向うの方図で、ゆったらと歌るのだずおん。
 ——川こ大水で、行かえない。
 マロサマ、首こかしげて、分別したずおん。なんて歌ったらええべがな、て打って分別して分別して、
 ——橋こ架けて飛んで来い。
 タキは人魂(ひとだま)みんた眼(まなく)こおかなく燃やし、独りして歌ったずおん。
 ——橋こ流えて行かえない。
 マロサマは、また首こかしげて分別したのだずおん。なかなか分別は出て来ねずおん。そのうちにし、声たてて泣いたのだずおん。泣き泣きしゃべったとせえ。
 ——あみださまや。
 わらわ、みんなみんな、笑ったずおん。
 ——ぼんずの念仏、雨、降った。
 ——もくらもっけの泣けべっちょ。
 ——西くもて、雨ふった。雨ふって、雪とけた。
 そのときにし、よろずよやのタキは、きずきずと叫びあげたとせえ。
 ——マロサマの愛(め)ごこや。わのこころこ知らずて、お念仏。あわれ、ばかくさいじゃよ。
 そうしてし、雪だまにぎて、マロサマさぶつけたずおん。雪だま、マロサマの右りの肩さ当り、ぱららて白く砕けたずおん。マロサマ、どってんして、泣くのばやめてし、雪こ溶けかけた黄はだの色のふろ野ば、どんどん逃げていったとせえ。

 そろそろと晩げになったずおん。野はら、暗くなり、寒くなったずおん。わらわ、めいめいの家さかえり、めいめい婆(ば)さまのこたつこさもぐり込んだずおん。いつもの晩げのごと、おなじ昔噺(むがしこ)をし、聞くのだずおん。
  長え長え昔噺(むがしこ)、知らへがな。
  山の中に橡の木いっぽんあったずおん。
  そのてっぺんさ、からす一羽来てとまったずおん。
  からすあ、があて啼けば、橡の実あ、一つぼたんて落づるずおん。
  また、からすあ、があて啼けば、橡の実あ、一つぼたんて落づるずおん。
  また、からすあ、があて啼けば、橡の実あ、一つぼたんて落づるずおん。
  …………………………

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