このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

宮澤賢治『なめとこ山の熊』——教科書の風景 22


宮澤賢治『なめとこ山の熊』
ーぎりぎりの生存、熊と猟師のふしぎな交感
 なめとこ山の熊のことならおもしろい。なめとこ山は大きな山だ。淵沢川はなめとこ山から出てくる。なめとこ山は一年のうちたいていの日は、冷たい霧か雲かを吸ったり吐いたりしている。まわりもみんな青黒いなまこや海坊主のような山だ。

鉛温泉、藤三旅館と豊沢川

 掲出文のように書き出された物語は、実は熊と人間との、殺し殺される関係を描いたせつない物語なのだ。猟師の小十郎は、老母と孫たちとの生活のために熊を撃って、その毛皮や胆を金銭に替えなければならない。その「因果」を背負う小十郎への共感を、撃たれる熊たちさえ「小十郎を好き」として作者は描いた。逆に、そうした厳しい生存の外にいて、毛皮や胆を買いたたく商人への怒りを、直接「僕」の声として作者は語らせた。
 『なめとこ山の熊』は架空の物語だが、舞台は豊沢川(作品では淵沢川)の上流の山中に設定されている。豊沢川は花巻の南部で北上川に合流する川で、宮澤賢治が幼時から親しんだ川だ。大空の滝、白沢、中山街道、鉛の湯など実在の地名も登場する。賢治生誕百年の年に、古い記録にナメトコ山の存在することが明らかになって話題を呼んだ。豊沢ダムの底に沈んだ集落には、熊撃ち名人がいたことなども研究者は明らかにしている。
 その『なめとこ山の熊』の舞台を、昨年(一九九九)夏に訪れた。鉛温泉に一泊し、翌日タクシーで豊沢川の源流地帯に向かった。豊沢ダムを過ぎてしばらくすると道が二手に分れる。直進すれば中山峠の手前で大空の滝に出合えるのだが、あいにく工事中で通行止めになっている。右手の道をずいぶんたどって峰越峠を過ぎたあたりで、ようやくなめとこ山を望むことができた。丸くなだらかな頂上が、杉の木の間から見える。舗装道路が通じているせいか、深い山という感じはしないが、それでも周辺の豊沢川源流地帯は、ブナや雑木に覆われ、水は冷たく清冽たった。
 作品には「鉛の湯」として登場する鉛温泉は、一軒宿の藤三旅館が健在だ。どっしりとした木造の三階建ても、入浴は立ったままでという深い湯舟も珍しかった。宿のすぐ側を豊沢川が流れていて、たまたま一緒になった話好きな老人が、川の音がうるさくて眠れなかったとこぼすほどだった。この宿は田宮虎彦の『銀心中』の舞台にもなったが、旅館では触れないようにしているらしかった。
 『なめとこ山の熊』の中で作者は、狐拳のルールでは狐が猟師に負け、猟師はだんなに負けるのに、現実では「だんな」がだれにも負けない仕掛けになっていることを、怒りを込めて描いた。熊も猟師も負け続け、「だんな」の一人勝ちという事態は、賢治の死後ますます進行している。高度経済成長下の昭和六十年代から、『なめとこ山の熊』は高校教科書に登場した。その意義は大きい。  (清水節治・法政大学講師)          

『月刊国語教育』 2000・1月号


トップへ

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください