このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

        教科書の風景 ⑧


富士に託して語る自己再生の物語
 太宰治『富嶽百景』

御坂峠の天下茶屋
『富嶽百景』
 この峠は…昔から富士三景の一つに数えられているのだそうであるが、私はあまり好かなかった。好かないばかりか、軽蔑さえした。あまりに、おあつらえむきの富士である。真ん中に富士があって、その下に河口湖が白く寒々と広がり、近景の山々がその両袖にひっそりとうずくまって湖を抱きかかえるようにしている。私は、一目見て、狼狽し、顔を赤らめた。これは、まるで、風呂屋のペンキ絵だ。芝居の書割だ。

 太宰治は教科書でも人気の作家で、昭和三十年代に『走れメロス』が採録されて以来、『女生徒』『水仙』『畜犬談』『津軽』『富岳百景』『葉桜と魔笛』など、中期の作品を中心にずいぶん多くの作品が採られている。中学では早くに『走れメロス』が定番化したが、高校では決定版がない状態が長かった。ところが近年になって変化が生じ初め、『富岳百景』への集中度が増して来ている(現在は七社が採録)。
 『富岳百景』の主人公は、創作にも実生活にも行きづまって、「思いをあらたにする覚悟」で井伏鱒二のいる御坂峠の天下茶屋にやって来た。あんな山のどこがいいのだ、と思いながらも人々の温かい心や親切に接するうちに、次第にこわばっていた心も開け、人生上の大きな転機を迎える。富士もまた好ましいものに見えてくる…そういう作品だ。
 作品の舞台、御坂峠に行ったのは三年前の秋だった。旧御坂トンネル傍の天下茶屋は建て替えられたものだが、二階には当時の部屋を復元、太宰記念室として資料を展示している。茶屋の前の道を隔てた林の中には、作中の有名な一節、「富士には月見草がよく似合ふ」を刻んだ碑が建っている。前方にはなるほど河口湖が白く輝いているが、富士はあいにくの雲で雄大な裾野が見えるだけ。三ツ峠からの眺めに期待することにして茶屋を後にし、一時間半ほどで山頂に着いた。作中では井伏と一緒の主人公が、「つたかずらかき分けて、細い山道、はうようにしてよじ登る」とあるが、今は山荘の車が頂上近くまで上がっていくほどの立派な道路になっている。
 その日は実にいい天気で、三ツ峠頂上からは麓の町々、南アルプスや奥秩父の峰々などよく見えるのに、富士の頂上だけは相変わらず雲をかぶったまま。濃い霧の中で、見えない富士の代わりに写真を掲げる茶店の老夫婦の親切に作中の主人公が心打たれる場面など思い浮かべながら待ったが、雲はついに切れなかった。やがて日も暮れて来た。カメラを構えていた人たちも、登山者たちも次々に下山して、山荘に残ったのは私一人だった。
 「十一月に入ると、もはや御坂の寒気、耐えがたく」と作中にもあるが、その夜は十一月も下旬、ストーブで暖をとりながら山荘の主人から、ご自身の写真集を前にしての山の今昔…絶滅しかけたアツモリ草群落の保護、見える星の数の減少、麓の集落の変貌などの話に時間の経つのを忘れた。深夜、二階の部屋で一人炬燵に温まりながら、ガラス戸越しに満天の星を眺めるのは何という贅沢だったろう。その頃には山頂の雲もすっかり取れていて、富士は頂に新雪の白さを見せながら、黒く大きく「のっそりと立って」いた。(清水節治・法政大学講師)
『月刊国語教育』1998・11

天下茶屋2階の太宰治資料室

天下茶屋近くの「富士には月見草がよく似合う」の碑

三ツ峠近くからの富士と河口湖

三ツ峠近くからの早暁の富士

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