このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

夏目漱石『草枕』——教科書の風景 ⑬


夏目漱石『草枕』
——「非人情」の旅、変幻自在な美女との出会い
 山路を登りながら、こう考えた。知に働けば角が立つ。情に棹おさせば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。住みにくさが高じると安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて画ができる。

野出峠に建つ「草枕 峠の茶屋跡」の碑

 一人の画家が、春たけなわの南国の峠を越えて、海に近いひなびた温泉に遊ぶ。いつも探偵につけられているような現実生活にうんざりして、「非人情」の自由を求めての旅だった。主人公は、美しい宿の娘「奈美」の変
幻自在なふるまいに、戸惑いなかがらもそれをひそかに楽しんでいる。長閑な村里の一風変わった人物たちとの、浮世離れの高尚な芸術や文明談義に花が咲き、背景の遠くには、戦争や銀行の倒産、夫婦の離別も描かれる……『草枕』はそんな物語だ。作者は「俳句的小説」(「余が『草枕』」)と呼んでいる。
 今では教科書に登場することが珍しくなった(現行は高校の一社)が、『草枕』は戦前の旧制中・女学校教科書で最もよく採られた作品だった。新制の高校も昭和三十年代まではその傾向が続くし、中学でもその頃まではよく採られて来た。南博の昭和二十八年の調査によると、高校生でよく読まれている漱石作品は、『坊ちゃん』『吾輩は猫である』『草枕』の順で、最も感銘を受けた作品は、『坊ちゃん』の次が『草枕』だった(「文芸」臨時増刊「夏目漱石読本」昭29・6)。
 『草枕』は、有名な冒頭(掲出文)と並んで、「『おい』と声を掛けたが返事がない」で始まる「二」も教科書によく採録されて来た。全体の中身は忘れても、こうした文章の一部を記憶している人は少なくないだろう。『草枕』に限らず漱石の文章には、平易で親しみ易く、しかも何ともいえない味のあるものが多い。こういう文章の魅力を主とした教材がこの頃は本当に少なくなった。
 『草枕』の舞台が有明海にほど近い小天(おあま)温泉ということはよく知られている。熊本の第五高等学校の教授だった漱石は、同僚の山川信次郎と一緒に明治三十年の暮れから正月にかけて滞在した。泊った家は政治家前田案山子の別荘で、娘の卓子(つなこ)が離縁になって帰っていた。若冲の掛軸、青磁の鉢の羊羹、女が湯に入る場面など、『草枕』に描かれたとおりだったことを、卓子から直接に漱石夫人の鏡子が聞いている(『漱石の思ひ出』)。 十年ほど前に、小天温泉に泊って峠を車で越えたことがあった。かつて峠の茶屋は通越 
と野出にあり、どちらが『草枕』のモデルかで論争があった(観光がらみの論争を嘆く文章を、野田宇太郎が残している)。研究者が軍配を上げたのは野出峠の方で、そこには、「草枕 峠の茶屋跡 1966」と彫られた立派な碑が建ち、環境庁と熊本県の名で『草枕』との関係を示す説明板も立っていた。 (法政大学講師 清水節治)

『月刊国語教育』 1999・4月号


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