このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
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猪苗代湖遠望
これも観光会館からの眺め。
会津民俗館
訪れた日は休館日で、これは近くの観光会館からの眺め。
清作の通っていた頃の猪苗代高等小学校
アメリカ人ヘンリー・ルーミスが明治24年に撮影、校舎の壁が壊れているのは、明治21年の会津磐梯山の大爆発によるものと思われる、と説明がある。
恩師小林栄に宛てた清作(英世)20歳、明治30年4月10日の手紙。
達筆な文面には、「済生学舎で学ぶ人たちはいろいろですが、早く免許状を取り、髯をはやし、妻を娶り、車を持って威張りたいという人が大半です」という箇所もある。
母シカが、アメリカのロックフェラー研究所の息子英世に宛てた明治45年1月23日付けの手紙。
1階展示室
記念館前の野口英世像
野口英世記念館については、以前訪れた時の記憶が全くないので、どのように変わったのか、その後の新設なのかわからない。 現在、野口英世記念館は国道49号沿い、野口英世生家に隣接して建てられている。2月中旬、雪に囲まれた記念館に、「野口英世が 新千円札に」の大きな垂れ幕がかかっていた。
1階展示室で注目したのは英世に宛てた母シカの手紙だ。英世が渡米して既に12年、学校にも行けず大人になってようやく覚えた仮名で、「きてくだされ」「はやくきてくだされ」と、息子に会いたい一心を切々と訴えた手紙に心を打たれる。シカの手紙で現存するのはこれ一通、この手紙は高校教科書数種に採られている。
2階展示室には、英世が清作k時代に恩師小林栄に宛てた書簡が特別展示されていた。アメリカ時代の手紙は数多く公開されてきたが、青年時代の手紙はほとんど世に出ることなく、今回が初公開という。
野口英世記念館——清作書簡・母の手紙
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