このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 『どんぐり』は、妻が摩利支天の縁日から帰宅していきなり喀血した日の記憶から書き出されている。それは暮れの二十六日のことだったが、「女中」は翌日急に暇をくれと言い出し、せめて代わりのあるまでは、と頼んでその日は思いとどまったが、その翌日は国もとの親が大病などと口実を設けて出て行ってしまった。この作品の発表は明治三十八年四月の『ホトトギス』、当時、結核がどんなに恐れられていたかがうかがえる。

 幸い次に来た「女中」の美代は気立ての優しい娘で、よく働きまめまめしく妻の看護をした。妻は身重で五月には初産という大難を控え、おまけに「十九の大厄」の年でもある。若い夫の「余」は、肺病ではないかという妻の問いかけを打ち消すのに懸命だ。

 二月半ばの風もなく暖かい日に、「余」は医者の許可を得て妻を植物園に連れ出す。大喜びの妻は支度に手間取って「余」をいらいらさせたり、温室で気分が悪くなったりするが、帰りがけに「おや、どんぐりが。」と言って、道わきの落ち葉の中から熱心に拾い始める。

 その妻が亡くなって忘れ形見のみつ坊が数え六つの二月、植物園を訪れた「余」はどんぐり拾いに熱中するわが子を見て、こんな些細なことにも遺伝というものがあるのだろうか、と感慨に打たれながらも、母の悲惨な運命だけはこの子にくりかえさせたくないと思う、『どんぐり』はそんな物語だ。

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