このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
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『雲の墓標』——土浦海軍航空隊跡
『雲の墓標』の主人公吉野が広島の4大竹海兵団に入隊後、最初に配属されたのが茨城県の土浦海軍航空隊だった。ここは予科練(海軍飛行予科練習生)の基地として全国に知られたところだ。「若い血潮の予科練の 七つボタンは桜に碇 今日も飛ぶ飛ぶ霞ケ浦にゃ……」の予科錬の歌は、当時小学生だった私の耳に今もよみがえる。その土浦海軍航空隊の跡は現在は陸上自衛隊土浦駐屯地になっていて、そこに「予科錬記念館」(雄翔館)がある。『雲の墓標』にも予科錬のことはちょっと出てくるし、土浦駅まで歩いて「つちうらァ」の声を聞いて基地に引き返したことなどは描かれたが、すぐ側の霞ヶ浦についてはなぜか描写がない。
この土浦駐屯地内には当時医療機関の建物が現存、今は武器資料館になっている。その隣に予科練記念館が建てられ、「散華」した予科錬の遺品や旧航空隊の装備品、飛行機の模型などが展示してある。出撃前の写真で不適な笑みを浮かべている者もあるが、沈痛な表情もあって心が痛む。残された遺書の中には「君がために何か惜しまん若桜散って甲斐ある命なりせば」という歌を記したものも複数あった。
予科練は小学校高等科卒(乙種)、中学4年修了者(甲種)を主とする志願制で、厳しい訓練の後に飛行科下士官を養成した制度だが、全国の予科練卒業生の8割にあたる18,564人が戦死したと、阿見町教育委員会の建てた説明板にあった。大学高専卒業生を対象とした海軍予備学生とは、学歴も低く年齢もぐっと下だったから、痛ましい思いはいっそう深い。
▲陸上自衛隊土浦駐屯地正門
▲当時の医務科棟(現武器資料館)
▲予科錬記念館(雄翔館)
▲「予科錬之碑」
▲予科錬之碑「碑文」
▲「若鷲の歌」(予科錬の歌)歌碑
▲戦車も見える駐屯地
▲駐屯地中央を走る道路の先に霞ヶ浦
▲霞ヶ浦総合公園付近から土浦駐屯地方向を望む
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