このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

透谷/小田切秀雄—小田原・高長寺
 わが恩師小田切秀雄の墓は小田原市の高長寺にある.。この寺に墓所を定めた経緯は「墓のこと・客死のこと」(『文学時標』98・8・25)に詳しいが、つまりは、北村透谷の墓のある寺だからということだった。ご自分は各種文学全集に収められている「文章と写真と年譜が墓石の代わり」と思っていたが、みゆき夫人は墓にはこだわっていて、「長男のいる九州宗像市内の駅近い寺に自分(およびわたし)の墓地を買ってあった」。その夫人も「透谷の寺だというので納得して、それではどちらの寺へも分骨しておさめましょう」ということになったのだという。
 みゆき夫人は「非定型抗酸菌症」という難病と17年間闘った末に亡くなり(96・5)、先生もその4年後(2000・5・24)に他界、今年は七回忌にあたる。「囲む会」メンバーを中心に弟子たちが毎年命日に近い休日を選んで墓参りをしている。今年は5月20日(土)に7、8人で墓に詣でた。
高長寺本堂
高長寺山門
小田切秀雄先生夫妻の墓 昨年5月一人でお参りした時の写真。花は庭から切って行った紫ラン
墓碑 自然石に「小田切秀雄 みゆき  小田切の人たち」と刻まれている
本を捧げる 今年は墓前に、近刊の『小田切秀雄の文学論争』を田中単之氏が、『読んで、行きたい 名作のふるさと』を清水が捧げた。清水の本は雑誌連載当初から先生は本にまとめることをお勧めになり、刊行の際はオビを書いてくださる約束だった
墓所の周辺 みゆき夫人納骨の頃は左隣は空いていたが、今は墓石が建った
北村透谷墓所(中央が透谷の墓)撮影は2005年5月
透谷の墓 東京・港区の瑞聖寺にあったものを、透谷没後60年を機にここに移された、と小田原市教委の説明版にある。今年は「透谷祭」の後で、墓前に花が沢山捧げられていた
透谷生誕地の碑 透谷は小田原・唐人町(現浜町)に生まれ、そこに碑がある。探しあてるのにちょっと苦労した
透谷生誕地の碑(正面) 
川崎長太郎文学碑 万町(現浜町)で生まれた川崎長太郎は独自の私小説世界を作り上げた人。住んだ小屋跡に碑がある
川崎長太郎文学碑 上に代表作『抹香町』の一節、下に「川崎長太郎 小屋跡」が刻まれている
小田原海岸(2006・5・20)
小林古径邸

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