このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

       「赤ちゃん会」のこと                         清水節治

今年は恩師小田切先生の七回忌に当たる年で、先生からいただいた書簡四十通の覆刻を中心にした追悼文集を作成中(*)だが、古い手紙を整理していたら、近藤先生からのものもいくつか出てきた。近藤先生についての回想文をという、「偲ぶ会」編集部からのご依頼に、「赤ちゃん会」のお葉書をもとに、思い出の一端を記すことにします。

 近藤先生は無類の子供好きだった。その一例が「赤ちゃん会」で、先生が媒酌されたり、結婚披露宴に出席されたりした若い夫婦を招いて、第一回が一九六二年九月九日、私学会館で開かれた。会場の予約その他お膳立てはすべて先生がなさった。先生はご馳走したり、何かを進呈したり、ということが大好きな方だったから、会費などという野暮なものは無論無しだった。目を細めて子供たちを見ていらっしゃる当日の写真 (ストロボなしで撮ったので不鮮明だが) が残っている。先生ご夫妻はご長男の若奥様を同行され、杉本(圭)、田中(喜)、萩原(一)さんご夫婦、子供連れは、坂下(圭)、玉木(金)さんご夫婦と私のところだった。玉木さんの坊ちゃんは素直に先生に抱かれたが、私の娘は人見知りの激しい時期(一歳ちょっと)で、母親にしがみついて離れようとしなかった。坂下(圭)さんのお子さんがどうだったかは覚えていない。
翌年の二回目、千葉の住まいでいただいたお葉書には、まだ、日にち場所は未定とあったが、夏休みで滞在していた東京の弟の所へのお葉書には、「八月三十日(時間・場所未定)にきめました」とあり、「ちょうど西郷信綱夫妻とロンドン産の赤ちゃん(由布子ちゃん)とが帰国しましたこの一家を加えて」ともあった。場所も結局、第一回と同じ私学会館になった。葉書はどちらも速達で、他の諸兄への連絡も同様だったと思うから、会場予約その他、どれだけお手をわずらわせたことかと、今にして思う。
確か二回目の時だったと思うが、先生の奥様が子供たちに「チューリップ」などの童謡をいくつもお歌いになり、「これは私の作詞よ」とおっしゃったのだった。後年、これらの作詞をめぐる裁判のことを新聞で知って、「赤ちゃん会」でのこと、証言としてお役に立てないものかと真剣に考えたのだったが、やがて奥様(近藤宮子)の勝訴確定を知って、ほっとしたことを思い出す。その後新宿御苑でも「赤ちゃん会」はあったように思うが、はっきりしない。 
 「一九六七・九・一六」付のお手紙で、「十月初旬には家も一応完成しますので、ごつごうのよい日に御一家おそろいでおでかけください」と、必要なことは決して省略しない、いかにも先生らしい綿密な手書きの地図をつけての連絡をいただいたこともあった。文面には「二年間『赤ちゃん大会』『子供大会』を休みましたのでやはりさびしいです。来年は復活したいと切望しています。(長男は無謀にも三人も産みました)」ともあった。先生の「切望」にもかかわらず、その後「赤ちゃん会」の復活はなかったように思うが、はっきりしない。先生は私の娘の名前をずっと覚えてくださっていて、そのお手紙にも記されていたし、お会いする度に口にされたのだった。
 大和市のお宅に伺った時は、先生が「孫弟子」と可愛がってくださっていたB・K(和光大生で高校時代の私の教え子)と、いっしょだった。そのB・Kから「先生危篤」の連絡で、一緒にお見舞いに伺ったのが、一九七六年四月三十日の午前十時、「すっかりおやつれになって痛々しい。お分かりになるらしく、なにかしきりにおっしゃるが、よく聞き取れぬ」と手帳にある。その日の夕方、またB・Kから電話があって、先生のご他界を知った。私たちが病院を辞してまもなくの十二時五分だったという。

 先生の学泉の豊かさは、学生当時には分からなかったし、直接説かれた芭蕉以前の俳諧や説教節の意義などもよく分からなかった。しかし、後になってそうかとうなずくことがしばしばあって(後年、勤めていた高校の選択授業の年間テーマに「近松・西鶴」を取り上げたことがあったし、友人に誘われて連句に遊んだこともある)、そのたびに先生のことを思った。しかし、不肖の弟子はその恩師の墓所さえ知らなかった。今回はからずも「近藤先生を偲ぶ会」の通信3号で、多摩霊園にあることを知った。有名作家の墓を尋ねてその霊園を歩き回ったこともあったのに、お恥ずかしいことである。遠くない日に恩師の墓所を訪ねて、長いご無沙汰のお詫びをしなければならない。      (法大大学院 一九六四年卒)

* 『先生のふみあと——小田切秀雄の片鱗』は希望者だけに進呈する限定私家版、2006年10月刊行

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