このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

多摩川水害の跡 二ヶ領宿河原堰 1974
 それまで安全な川として親しまれていた多摩川の、まさかの堤防決壊、民家が濁流の中に次々と流失する被災状況が、テレビ画面に連日映し出される——という異常地特異な大災害だった。堤防の決壊が堰の左岸を大きくえぐったが、周辺一帯の全面的な浸水に至らなかったのも特殊な災害だった。
 堤防決壊の直接のきっかけとなったのは、二ヶ領宿河原堰の左岸河川敷に設けられた「小堤防」の崩壊だった。この小堤防は古くからあった堤防を堰改築の際に補強したもので、厚さ15cmの「植石コンクリート造り」だったが、全体的に弱かったために真っ先に崩壊し、水流はここから二ヶ領宿河原堰の左岸を回り込むようにして、本堤防との間の児童遊園地をえぐり本堤防をえぐったのだった。
水の引いた後の二ヶ領宿河原堰 右が堤防決壊箇所
二ヶ領宿河原堰の5連ゲートの放水門  堰の右手に堤防の決壊箇所
二ヶ領宿河原堰下流の水害の跡
何事もなかったように水鳥が泳ぐ
堤防に置き去りにされた残骸
堤防決壊でえぐられた跡 中央の窪みにはまだ水がたまっている
修復工事のはじまった決壊現場
多摩川河川敷に集結したブルドーザー  前方は小田急線鉄橋 
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