このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

隅田川 都鳥 伊勢物語

 江戸東京博物館の1階入り口近くに、「言問橋の欄干と縁石」の展示がある。言問橋は1945年(昭和20)3月10日未明の東京大空襲の際、浅草から向島方面へ避難しようとする人と、反対側から来る人々が橋の上で交差し、身動きが取れない状態となって多数の市民が焼死した。1992年(平成4)の言問橋改修工事にあたって、当時の欄干と縁石が撤去されることになり、東京大空襲の被災資料として1部を江戸東京博物館が譲りうけた、と説明板にある。
 言問橋の「言問」は、在原業平の「名にしおはば いざ言問はむ都鳥 わが思ふひとは ありやなしやと」の歌に因むといわれる。都鳥はユリカモメの異名。『伊勢物語』の「東下り」に、都鳥を見てこのこの歌を詠んだところ、船に同乗した人が皆泣いてしまった、の記述がある。
 たまたま国技館から隅田川の堤防に出たら、「東京水辺ライン」の両国発着所があって、桜橋行きの水上バスがまもなく到着するという。言問橋を久しぶりに訪ねたくなった。晩秋とは思えないとうな暖かい日で、桜橋までのちょっとした船旅を楽しむことにした。

江戸東京博物館構内に移された「言問橋の欄干と縁石」
水上バス「東京水辺ライン」の両国発着所 前方は蔵前橋
蔵前橋 次に通過する厩橋の「塗装工事実施中」運行注意の標識がかかっている 
塗装工事中の厩橋 橋げたが低く、橋の下を通過する時には船上の乗客はかがむように注意された
駒形橋 関東大震災後の復興計画で架けられた。駒形といえば、老舗の「どぜう」の店を思い出す
吾妻橋 はじめて架けられたのは安永3年(1774)で、武士以外の通行者からは通行料2文を取ったという。その後流失や架け替えが何度もあって、現在の橋になったのは昭和6年(1931)のこと
吾妻橋袂の水上バス「隅田川ライン」の浅草発着所  「東京水辺ライン」の船はここにはよらずに上流の桜橋まで行く
東武伊勢崎線の鉄橋  左手には松屋デパート、右手は隅田公園、前方に言問橋 
言問橋 関東大震災後の復興計画で昭和3年(1928)竣工。
桜橋 昭和60年竣工の歩行者専用橋。上から見ると中央が交差するX字の形をしている
隅田川にはさまざまな船が行き来している これは上流から桜橋に近づく船
桜橋西側のモニュメント 瑞鶴の図  原画、平山 郁夫
ユリカモメ  今年は暖かいせいか、まだ数は少ない感じだが、隅田川や橋の上のあちこちに、ユリカモメの姿が見られた
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