このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

太宰治没後60年の桜桃忌 「雀こ」朗読
 禅林寺の桜桃忌にはじめて出かけたのは、確か昭和40年代、寺務所のような会場の大きなテーブルの所々に、桜桃忌にふさわしく「さくらんぼ」の大皿が置かれていて、参会者はその実をつまみながら、雑談したように思うが、はっきりしない。カメを持ち歩く前のことで、記録も証拠もないのである。その時は参会者も数えるようだったが、その後何度か足を運ぶうちにだんだん増えて、山盛りのさくらんぼどころでなくなり、講演を聴くのも容易でなくなった。

 今回も「立ち見」だったが、小野才八郎氏の「雀こ」朗読が聴けてよかった。小野氏と「雀こ」朗読の関係は「『雀こ』朗読三十年」で知っていた。小野氏は昭和25年の第2回桜桃忌以来、(当初は断続的だったらしいが、やがて定着)桜桃忌での「雀こ」朗読を続けた人なのである。太宰治と同郷の小山清は、桜桃忌で朗読する作品として、「雀こ」を「長さも適当ですし、第一津軽弁ですからね。太宰を偲ぶには一番いいですよ」と推薦、「あれ(「雀こ」朗読)を聞かないと桜桃忌が済んだ気がしない」と壇一雄は言っていたという。生粋の津軽人だからと小野才八郎氏が指名されたのだが、上京して間もない氏には、津軽弁での朗読は当初は「恥ずかしい」ものだったそうだ。しかし、「雀こ」と太宰治、「雀こ」と津軽・津軽弁との深い関係をたどるにつれ、ふっきれて朗読も積極的な読み方になった、と述べている。

 「『雀こ』朗読三十年」(87・5)を再録した『太宰治語録』(98・6)が出てから10年、小野氏は今年88歳になる。桜桃忌の際に集めたアンケートなどの思い出を語った後、「雀こ」の朗読がはじまった。これまでも「伊奈かっぺい」などの朗読を録音テープで聴いたことはあるが、さすが「生粋の津軽弁」での生の朗読はひと味違ったものがあった。井伏鱒二は「雀こ」を暗記していると語ったそうだが、私もこの作品をほぼ暗記している。小野才八郎氏が「からす一羽来て」を「からすいっぱきて」と読んだのが面白かった。「鼻たれてきたなきも」は「はなたれてきたないも」のように聞こえた。

 小野才八郎氏はマイクを前に椅子にかけて話をし、朗読をした。時々「写真を撮らないでください!」という、住職らしい司会の大きな声が飛んだ。「立ち見」に新たに加わる者が前の注意を知らないでカメラを向けるらしく、注意の「叱声」が何度も飛んで興がそがれた。ならば、あらかじめ撮影禁止の張り紙を目立つように出しておけばよいものを、と思った。
桜桃忌講演会場の梅賢堂(霊泉斎場) ▲
講演会の席は満員で、「立ち見」は会場の外にまで ▲
山門近くの森鴎外「遺言碑」 ▲
桜桃忌記念講演の終わった後も参拝の人は途切れない ▲
帰りに立ち寄った三鷹市本町通りの「太宰治文学サロン」 ▲
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