『火垂るの墓』の上映が7月5日からはじまった。早速岩波ホールに出かけたが、第1回は上映のかなり前に満席になるほどの盛況だった。会場の前のほうにはずらりとマスコミの席も設けられていた。上映終了後、「初日舞台挨拶」もあった。
アニメ映画『火垂るの墓』が登場したのは1988年。原作者野坂は「焼跡をどう再現するのか……飢えた人間の表情は、メーキャップによっては、作り得ぬ……明日をも知れぬ日々を、漂い流れつつ、妙にあっけらかんとしていた、あの時代をまるごと、描いてもらいたい気持も強い」、と原作者として「こだわり」を示したが、結果「アニメ恐るべし」と書き(『小説新潮』87・9)、予告編のビデオ版を見て、「朝まで泣いていた」(『週刊朝日』88・5・13)と書いた。つまり、アニメ版は満足、脱帽したのであった。 アニメ版の前にも『火垂るの墓』映画化の話は何度かあって、「アリゾナの砂漠に、焼ける前の神戸の町を大規模に再現、テキサス州のフライングミューゼアムにあるB二九を実際に飛ばし……」などという途方も無い企画もあった(『小説新潮』87・9)というが、結局日の目を見なかった。アニメ版から20年、神戸空襲からは63年、「戦争映画の名作」を「実写映画」でどう表現するのか、注目したが、結果は残念ながら失望というしかなかった。 1 原作にないものを付け加えすぎたと思う。主人公清太の喘息(ぜんそく)、剣道、厭世的な大学生、清太に同情的な中学校長の登場、校長一家の悲運……、原作にはない大幅な変改がなされていてが、そうした変更を持ち込む理由が伝わってこなかったし、むしろ設定の無理が目立った(清太の安来節、喘息もちの学生との接触、中学校長への剣道の試合申し込み、など)。シナリオに問題がある、と思った。 2 空襲の恐ろしさのことは言わないとして、「飢え」のせつなさ、つらさが残念ながら伝わってこなかった。こんな場面がある(シナリオ 49 未亡人宅・中庭)。
清太、土鍋のふたをつかんで「ホラ、出来た」
節子「(嬉しそうに)やった−!」
清太,ふたを取って中の飯をしゃもじで茶碗へ入れる−お粥のようにベチャベチャだ.
節子「(見てうんざり)ベチャベチャや」
清太「(腹立て)食べたなかったら食べんでええ」と茶碗の飯をガマンして掻き込む。
節子「(恐る恐る清太に)美味しい……?l
清太,黙って食べ続ける. 食事の場面が、炊いた飯の出来不出来、美味しいかどうかの次元でとらえられていて、これでは、ひもじさ(既に死語か)は伝わらない。もっとも、「腹減った」の清太のせりふよりも、清太の母の着物をめぐっての未亡人清太の争いのほうが、ずっとリアリティがあるのだ。演出は飢餓感、ひもじさよりも、物の欠乏、執着のほうに力点があるように感じた。以上は原作『火垂るの墓』にほれ込んだ者の感想だから、どうしても点が辛くなる。原作のことをいわなければ、上の部の作品といえるだろうと思う。 |