このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

ヒロシマ文学論 太田洋子
 映画「夕凪の街 桜の国」を近くの公民館で上映して、観にいった。いい映画だった。広島のこと、原爆のこと、そして大田洋子のことを思った。大田洋子には初期の作品に『櫻の國』があり、戦後に『夕凪の街と人と』がある。直接間接、大田洋子とのかかわりの深いことが感じられた。

 『近代文学研究』2号(.1966・5)に原民喜論を発表した後、「ヒロシマ文学論・2」として太田洋子論を載せたことがある。原民喜論もこの太田洋子論も、私としては全力傾注の論文だった。今読み返してみても、論の骨子、視点、そして表現も(1,2の誤植以外には)、特に修正の必要を感じずに済んだのはうれしいことだった。私の二つのヒロシマ文学論から既に40年、ヒロシマ文学、そしてこの二人の作家の研究も当然進展してきたが、先行の研究文献として再掲する意義はあろうかと思う。
『戦災孤児の神話』(1995刊)所収の大田洋子論 (初出 『近代文学研究』6 1970・6 ▼)

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