このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

日本スキー発祥記念館 上越市高田
 今年の1月12日は、旧オーストリア・ハンガリーの軍人レルヒ少佐が、日本にスキーを伝えてから100年にあたる記念の日だという。その原点となった上越市(高田)をはじめ、新潟県下では各地でイベントもあったらしい。
 上越市高田の「日本スキー発祥記念館」を訪れたのは7年前の春(2004年4月)、高田の桜を見た折だった。レルヒ少佐の像や復元された居室、当時のスキー用具、スキースタイルの写真などが展示されていた。大正期から現代までのスキー用具の変遷も、実物とパネルの解説で見ごたえがあった。

 私がスキーを始めたのは小学校に上がる前で、1930年代の後半だったから、レルヒ少佐が高田で日本軍人にスキーを教えてからまだ20数年しか経っていなかったのである。隣家に私と同い年の女の子がいて、その子のおもちゃのようなスキーを借りて遊んでいたら、その子の父親が私からスキーをとりあげ、私は泣いて家に帰った。父がその日のうちにスキーを買ってくれた。大きくなっても滑れるようにと、ずいぶん大きいスキーを買ってくれた。当時の我が家は貧しい農家だったから、相当な出費だったろうが、これがわが少年時代の絶好の友達になった。長いブランクの時期を経て、自分でスキーを買ったのはなんとその40年後のことである。
「日本スキー発祥の地・金谷山」の標柱 ▲
レルヒ少佐像 ▲
前方に「日本スキー発祥記念館」が見える ▲
「日本スキー発祥記念館」 ▲
「日本スキー発祥記念館」内のレルヒ像 ▲
館内にはスキースタイルのレルヒ像も ▲
左手 展示室入口 ▲
スキー用具の展示(昭和・戦後) ▲
館の一隅に建てられている「日本スキー発祥八十年記念」碑 ▲
金谷山から望む上越市・高田 ▲
トップへ

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください