矢切の渡しから江戸川左岸の堤防を越えて「野菊のこみち」に出た。4月上旬のいい天気の日で、散策には申し分のない日和だったが、渡し船に乗った客は皆柴又に引き返して、矢切の里の畑道を歩く酔狂な者は他になかった。「野菊のこみち」の標識を頼りに畑の中の小道を歩き、小さな流れにつきあたってちょっと迂回して矢切橋を渡った。 江戸川の堤防下の標識には約30分とあったが、もうちょっと時間はかかった感じで西蓮寺の境内裏地の野菊の墓文学碑にたどり着いた。実は数年前、市川市北国分の友人宅に立ち寄った時に、野菊の墓文学碑が近いと知って尋ねてみたのだが、道に迷って諦めたことがあったから、ようやく念願がかなった思いだった。 野菊の墓文学碑は昭和40年(1965)の建立、伊藤左千夫の門人土屋文明の筆で、『野菊の墓』の一節が刻まれている。野菊の墓文学碑の脇には、「史跡 国府台の戦争」の説明板、伊藤左千夫の歌を記した木碑?なども置かれてあった。 |