このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

佐渡金山跡 佐渡奉行所跡
 佐渡の旅の1日目は真野の国分寺跡などめぐって、姫崎灯台近くの宿に泊まった。2日目は佐渡金山を見学、嘉永年間、坑内事故で死んだ人足28名の名を刻んだ「無宿の墓」などを見、佐渡金山の金(かね)堀りたちの住んでいたという大工町などを通って、佐渡奉行所跡に出た。
 佐渡金山の開山(1601年)に伴い、佐渡は幕府直轄の天領となって、相川に奉行所が置かれた。何度か焼失、再建を繰り返し、訪れた1996年当時は、発掘調査をしていた。近年、安政5年に建てられた奉行所を基に復元、一般公開されているという。
佐渡金山立坑入り口 (撮影 1996・5・2 以下同じ) ▲
佐渡金山坑内展示 ▲
佐渡金山 「謳歌天領……」と刻まれた碑(右)など ▲
嘉永年間、坑内事故で死んだ人足28名の名を刻んだ「無宿の墓」 ▲
佐渡金山 坑夫人夫供養墓 ▲
金山の金(かね)堀りたちの住んでいたという大工町から京町へ ▲ ▼
佐渡奉行所跡発掘調査現場 ▲ ▼
トップへ

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください