下国府遺跡から妙宣寺に行く。妙宣寺は、日蓮上人旧跡の一つで山門を入ると五重塔もある大きな寺だ。妙宣寺五重塔(重要文化財)は、日光東照宮の五重塔を模して30年の歳月をかけて文政八年(1825)創建されたといわれる。 この寺には佐渡に流された日野資朝の墓がある。資朝卿の幽閉された雑太城(資朝ゆかりの謡曲「檀風」から、檀風城とも)の城址碑もある。寺の近くには阿新(くまわか)丸隠れ松がある。「父を尋ねてはるばる佐渡に渡った日野資朝の子阿新丸(当時十三歳)は父にも逢わせず父を斬った城主本間山城入道の無情を恨んで、城内に忍び入り、山城を刺そうとしたが、その夜はそこにはおらず、太刀取本間三郎を刺し竹を伝って濠を越えしばらくこの松に隠れて追手を免れたという……」と、真野町観光協会と教育委員会連名の説明板が立っていた。 妙宣寺から国分寺に回った。寺に接して「古代国分寺跡」がある。現在は史跡公園として整備されている(webサイト)そうだが、訪れた1996年当時は (写真が1枚も残っていないから)未整備だったのではないかと思う。珍しい茅葺きの山門と瑠璃堂、それに本堂を参観した後、真野御陵へと向かった。 |