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10月中旬のよく晴れた日の午後、旧軽井沢の矢崎川のほとりの文学碑を訪ねることにした。前々日、諏訪神社を訪れた時見ていた貸し自転車屋に寄ったが、管理人が不在、仕方なく旧軽井沢バス停まで戻ってタクシーに乗った。
軽井沢会テニスコートの少し先に室生犀星記念館がある。昭和6年に犀星が建て別荘を改修したもので、犀星は亡くなる前年の昭和36年まで毎夏をここで過ごし、堀辰雄、立原道造、川端康成、志賀直哉など、多くの作家と交流があった家という。通りからは車の入れない狭い道で、タクシーの運転手さんはは歩いて案内してくれた。旧居の標識もある平屋二棟はいかにも文人の別荘、という感じのたたずまいだった。庭一面のコケが印象的だった。
犀星記念館から少し先、矢崎川のほとりに犀星文学碑がある。石の俑人像二体がまず目についた。犀星が旧満州国旅行の際に買い求めたもので、下には犀星夫妻の遺骨が生地金沢から分骨されて納められている、と後で知った。その脇に犀星自身の建立になる、「我は張りつめたる氷を愛す 斯る切なき思ひを愛す……」の刻まれた文学碑があったはずだが、この時は気づかなかった。タクシーを待たせているのでゆっくり案内板を読まなかったのが失敗のもと、石の俑人像を文学碑と思い込んで、一段高いところにる文学碑に気づかなかったのだ。後でネットで検索、犀星文学碑も確認( http://www.mapple.net/photos/I02000195201.htmなど)したが、
石の俑人像の写真を掲げて「犀星文学碑」としたものもけっこうあったから、私同様の勘違いもあるのかもしれない、と思う。 |
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室生犀星記念館への細い道(右手) ▲ |
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犀星が昭和6年に建てた別荘 現在の室生犀星記念館 ▲ |
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犀星旧居 右手の離れ ▲ |
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犀星旧居の居間 ▲ |
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犀星旧居の庭 コケがみごとだった ▲ |
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室生犀星文学碑入り口 ▲ |
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矢ヶ崎川沿いの室生犀星文学碑のある一角 ▲ |
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犀星夫妻の遺骨が分骨されて納められているという石の俑人像 ▲ |
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俑人像の右に犀星文学碑案内板、右端右上に写っているのが犀星文学碑の一部 ▲ |
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