義仲寺にも立ち寄った。10年ぶりだった。門の開くのを待って入った。この地粟津ケ原で討ち死にした義仲公の供養のために、尼僧の結んだ庵が義仲寺の縁起といわれる。義仲公の墓(土壇の上に宝篋印塔)の左には、その尼僧と伝えられる巴御前の塚がある。
巴御前のことは『平家物語』に、木曾は信濃を出でしより、巴・山吹とて、二人の美女を具せられたり。山吹は勞(いたはり)あって都に留りぬ。中にも、巴は色白う髮長く、容顔まことに美麗なり。くっきゃうの荒馬乘り、惡所落し、弓矢打物取つては、如何なる鬼にも神にもあはふと云ふ一人當千のつはものなり。……されば、このたびも、多くの者落ち行き討たれける中に、七騎が中までも、巴は討たれざりけり、とあって、この「木曽の最期」は、高校教師の現役時代に何度も授業で取り上げて、今でもかなり空でいえるくらいだ。
巴塚からはかなり離れて、山吹の供養塚もある。これはJR大津駅前にあったもので、駅の拡張工事でここに移されたもの、と「義仲寺案内」にあった。
義仲公の墓は、長野県木曽町の徳音寺にもあって、昔々訪れた時のことを思い出す。 |