このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

岡倉天心終焉の地 妙高・赤倉温泉
 今年は岡倉天心の生誕150年、没後100年に当たることを、赤倉温泉で知った。明治時代、日本の美術を広く海外に紹介するとともに東京美術学校(現・東京芸術大学)を創設、横山大観、下村観山らに大きな影響を与えた岡倉天心(おかくら てんしん 1863—1913)は、妙高・赤倉の地が気に入ってこの地に山荘を建て、ここで没した。
 赤倉温泉は滞在中、雨が降り続いたが、小やみになった時を見計らって、天心公園・六角堂を訪ねた。「天心遺蹟 赤倉山荘」の標石を見て、道路から入る。途中に「リナーハ亜細亜」と刻まれた天然石を見て首をかしげたが、右から読めば「亜細亜ハ一(ひとつ)ナリ」で、これで納得。
 六角堂は夢殿を模したものと言われ、中に岡倉天心像を安置する。六角堂周辺には「天心岡倉先生終焉の地」の大小二つの碑、「アジアの先覚・天心先生」の大きな案内板、生誕150年、没後100年の記念事業(駐車場や天心公園周辺の整備)への募金の御願いの立札が立っていた。六角堂の後ろの原には満開のツツジが小雨に濡れていた。
天心遺蹟 赤倉山荘の標石(撮影 2013/06/19)▲
岡倉天心堂の標識とうっすらと赤みのさした紅葉 ▲
小雨にけぶる岡倉天心六角堂 ▲ ▼
六角堂内の岡倉天心像 ▲
「天心岡倉先生終焉の地」の碑 ▲ ▼
碑陰に「昭和十七年一月七日」と刻まれている ▲
天心六角堂背後のつつじの原 ▲
六角堂前にも「天心岡倉先生終焉の地」の碑 ▲
左から読んで難解? 右から読むのが正解 「亜細亜ハ一(ひとつ)ナリ」 ▲
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