芥川龍之介が生前から教科書の登場していたこと、『蜜柑』が戦前の女学校以来の人気教材で、戦後もずっと採られ続けた好教材だったことなど、このコラムで紹介したこと、思い出す。現代国語の時代までは芥作品も教科書にいろいろ採られていて、現在の(異常とも思える)『羅生門』現象と思い合わせると、こおでも今昔の感を深くする。
ここに収めた芥川龍之介『蜜柑』の碑の写真は、このコラムのために取材に出かけてのものだが、横須賀はわが恩師小田切秀雄先生ゆかりの地(最初に勤務されたのは横須賀中学)だったことが、頭になかった(学生時代に先生から、横須賀への長時間通勤で、岩波文庫を熱読?したお話はしばしば聞かされていたのだが……)。先生没後、お聞きしておけばよかった、と悔やまれることは山ほどあるが、戦前・戦中の横須賀線や芥川の『蜜柑』のことなど、その中の大事な一つだ。 |