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陸中海岸海岸の辺鄙な村小子内(おこない)を訪ねる気になったのは、教科書で出会った柳田国男「清光館哀史」に惹かれてのことだった。私が初めて小子内を訪れたのは1976年だったが、この時は何にもなかった清光館跡に、20年後(1996)に再訪した時には、跡地の畑の中に柳田国男「清光館哀史」の大きな碑が建っていた。文章の力、教科書の力を改めて思ったのだった。
以前は波打ち際まで一望だった海岸に、再訪の時には防潮堤の壁ができていて、村から海岸の見通しが利かなくなっていた。この間の3・11の大津波では防潮堤など役に立たなかっただろうと、案じられる。 |
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『月刊国語教育』98・9 柳田国男「清光館哀史」 ▲ |
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清光館跡地の柳田国男「清光館哀史」碑と南瓜の花 ▲ |
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1976年当時の清光館跡 畑の中の立て看板(右端)が辛うじて清光館の跡を伝えていた ▲ |
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