墓を建てるなら「浄閑寺の塋域娼妓の墓乱れ倒れたる間を選びて一片の石を建てよ。石の高さ五尺を超ゆべからず、名は荷風散人墓の五字を以て足れりとすべし」と『断腸亭日乗』に綴った荷風だったが、結局その思いは叶わず、永井家墓所のある雑司ヶ谷霊園に荷風の墓は建てられた。南千住浄閑寺本堂裏の洒落た筆塚「永井荷風文学碑」とは対照的に、雑司が谷の墓はごく普通の墓標である。
同じ区画1−1の小泉八雲、泉鏡花の墓はごく普通の形だが、近くの羽仁五郎の墓は「学問無宿 Goro」の左右に羽仁五郎、説子と刻まれ、いかにも羽仁五郎rしい墓標だ。やや離れて紀行文家大町桂月、歌人窪田空穂の墓があって、そこも今回は訪れた。 |