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『五足の靴』は1907年(明治40)7月28日から8月27日まで、九州西部中心に約1ヶ月旅した5人(与謝野寛、北原白秋、木下杢太郎、吉井勇、平野万里−−五足の靴としゃれている)による紀行文。その年の東京二六新聞に8月7日より9月10日まで、5人が交互に執筆して、29回にわたり連載された。
唐津では虹ノ松原を散策後、近松寺で文芸会、「博多屋」に泊ったが、その宿は既になく、後年唐津駅前に「五足の靴」記念碑が建てられた。碑には木下杢太郎の詩「はためき」の全文が刻まれている。建立に要した努力が、碑陰に記された建立協賛者の多さに示されている。
昔々、柳川に泊まった宿の近くに「五足の靴」についての碑があった。先年は天草を歩いいいて、「五足の靴」ゆかりの歌碑に出会い、「五足の靴」記念碑に出会った。「五足の靴」紀行文でも天草の項が、ハイライトにあたる場面といわれていることは後で知った。 |
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JR唐津駅北口 「五足の靴」文学碑 (撮影 2018・5・23) ▲ |
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「五足の靴」文学碑 碑陰 多くの賛助者名が記されている ▲ |
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柳川の「五足の靴ゆかりの碑」 (撮影 1987・3・25) ▲ |
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天草 五足の靴 文学遊歩道案内板 (撮影 2009・5・24) ▲ |
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「五足の靴」についての記念碑(銅板) ▲ |
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濱名志松の「寛白秋 勇杢太郎 萬里らが たどりし径ぞ 五足の靴で」歌碑 ▲ |
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