地福寺から旧島崎藤村邸に回った。JR大磯駅から線路沿いに西に向かって歩くと、大磯小学校正門脇に島崎藤村邸の標識が立っていて、5分ほどで着いた。地福寺の藤村忌からグループで回った人たちもあったが、行った時は参観者は他に誰もいなかった。
藤村は最晩年、この僅か三間の質素な家に住み、脳溢血で急逝した。執筆途中だった『東方の門』が絶筆となった。藤村亡き後住んでいた静子夫人が、箱根に疎開した後、昭和 24年から劇作家・随筆家高田保が住み、昭和27年にこの家で没し、その後静子夫人が昭和48年に亡くなるまで住まい、現在は大磯町が管理、公開している。 |