このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 藤村忌 大磯・旧島崎藤村邸
 地福寺から旧島崎藤村邸に回った。JR大磯駅から線路沿いに西に向かって歩くと、大磯小学校正門脇に島崎藤村邸の標識が立っていて、5分ほどで着いた。地福寺の藤村忌からグループで回った人たちもあったが、行った時は参観者は他に誰もいなかった。

 藤村は最晩年、この僅か三間の質素な家に住み、脳溢血で急逝した。執筆途中だった『東方の門』が絶筆となった。藤村亡き後住んでいた静子夫人が、箱根に疎開した後、昭和 24年から劇作家・随筆家高田保が住み、昭和27年にこの家で没し、その後静子夫人が昭和48年に亡くなるまで住まい、現在は大磯町が管理、公開している。
大磯小学校正門脇に立つ島崎藤村邸の標識 ▲
旧島崎藤村邸入り口 ▲
広縁の向こうは6畳、8畳の居間 ▲
広縁の向こうに4,5畳の書斎 ▲
書斎、その奥が6畳の居間 ▲
庭の一部 ▲
道路からの旧島崎藤村邸 ▲
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